岡富村(読み)おかとみむら

日本歴史地名大系 「岡富村」の解説

岡富村
おかとみむら

[現在地名]延岡市岡富町・古川町ふるかわまち高千穂通たかちほどおり山下町やましたまち栄町さかえまち昭和町しようわまち日の出町ひのでまち萩町はぎまち富美山町とみやままち岡富山おかとみやま中川原町なかがわらまち柚木町ゆうぎまち宇和田町うわだまち鹿狩瀬町かがせまち浜砂はまご一―三丁目・山月町やまつきまち幸町さいわいまち恵比須町えびすまち瀬之口町せのくちまち東浜砂町ひがしはまごまち惣領町そうりようまち中島町なかしままち北小路きたこうじ

延岡城下の北側、五ヶ瀬川と祝子ほうり川に挟まれた平地と丘陵地および五ヶ瀬川河口南岸平地に立地。地元では「おかどみ」ともよぶ。天正一六年(一五八八)八月四日の日向国知行方目録に「参拾町 岡富」とみえ、高橋元種(のち延岡藩主)に宛行われている。慶長八年(一六〇三)あがた(延岡)城下が当村のうち五ヶ瀬川と大瀬おおせ川に挟まれた中洲を割いて形成され、さらに五ヶ瀬川北岸沿いにも家中武家屋敷町(北小路)も形成された(「有馬家中延岡城下屋敷付絵図」明治大学刑事博物館蔵)。このため江戸時代を通じて郷帳類などでは城下七町・船倉ふなぐら、さらに方財ほうざい島を含めて岡富村で高付されていた。当村および粟野名あわのみよう大武町おおたけまち稲葉崎いなばさき祝子川島かわしま長井ながい川内名かわちみよう(現北川町)の岡富組九ヵ村の中心村で、大庄屋(三浦氏時代までは頭庄屋)が置かれていた。当村は本村・惣領・浜砂・柚木・宇和田・鹿狩瀬・古川の七門からなり、寛永一一年(一六三四)の指出(国乗遺聞)では高一千一二六石余。

岡富村
おかどみむら

[現在地名]西都市岡富

右松みぎまつ村の南に位置する。村の東を一ッ瀬川(穂北川)が流れ、中央を米良めら街道が縦断する。村落の中心は村の南西部で、田園が広がる四日市よつかいちにある。新田にゆうた(現新富町)との境、字有峯ありみねから新田村向田むこうだにかけて中世の有峯城跡がある。「日向地誌」には有嶺城とみえ「穂北川ノ東涯山嶺ニアリ、高十二三丈、西ハ川流ニ臨ミ東ハ谷ヲ帯フ、其嶺平坦」とあって広さは五、六反、西に深さ一丈二、三尺、幅二、三間、東には深さ六尺・幅一間の堀をうがち、里民の伝えでは建武期(一三三四―三八)長友兵庫頭行安の居城であったという。文体など検討する余地は残されているが、康暦二年(一三八〇)三月一七日の某下文(長友文書)によれば長友宮内左衛門尉は先祖伝来の地である「日向国々富庄内佐土原郷有峯名」を、亡父慈安の譲状のとおりに相続し、年貢公事などを勤仕するよう命じられている。この有峯名は有峯城と関連の深い地と思われる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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