朝日日本歴史人物事典 「山尾庸三」の解説
山尾庸三
生年:天保8.10.8(1837.11.5)
明治期の政治家。長州(萩)藩士山尾忠治郎の次男。周防国(山口県)小郡に生まれ,吉田松陰らに学ぶ。嘉永5(1852)年江戸に上り,文久1(1861)年には幕臣北岡健三郎と共にロシア領アムール川流域の査察を行う。翌2年高杉晋作らとイギリス公使館焼き打ちに参加,さらに翌3年長州の軍備強化の目的もあって,伊藤俊輔(博文),井上聞多(馨)らとイギリスに密航,ロンドンからグラスゴーに渡り,ロバート・アンド・サンズ造船所で働きながら,アンダーソン・カレッジにも通う。 明治3(1870)年帰国後は新政府の横浜造船所の責任者となり,同年工部省の創設にかかわり,また国家建設のために工学教育の重要性を力説して,4年に工部寮を設立,自らその責任者となる。6年グラスゴーからダイアーを招いて工部学校,さらに10年には工部大学校とし,その教育上の指導者とした。13年には工部卿となっている。ふたりで協力して造り上げたこの工学教育機関は,世界の当時の水準を遥かに抜くもので,19年には帝大工科大学(東大工学部)となり,国家経営のための高級技術者を輩出した。日本の工学教育は山尾に負うところが大きい。その後工部省を退き,宮中顧問官,法制局長官などを歴任,20年子爵に任じられた。<参考文献>『日本工学会百年史』
(村上陽一郎)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報