山之坊村
やまのぼうむら
[現在地名]糸魚川市山之坊
小滝村より南へ川西道を大峰峠越で当村に至る。宝暦三年(一七五三)編述の「千曲之真砂」に松本(現長野県松本市)からの道筋として「大網の橋を渡らず、橋の手前より岐道ありて、川を右に見て行道有、是ハ越後国頸城郡青海江出る也、大網の橋場より越後国山の坊江弐里、山のぼうより小たき江三里、小滝より青海江又遠海とも云、弐里、すへて橋場より青海迄七里也、甚難所にして老人など決而ならぬ道也」とある。正保国絵図に高一〇石余とある。天和三年郷帳に高二二石四斗余とある。姫川支流の大所川を挟んで、大所村との間に渡された橋について、寛延四年(一七五一)の大所村山岸豊蔵広利の遺言覚によると、延享四年(一七四七)の満水の後、当村の時の商人・庄屋・年寄が申合せ、資財を大所村の山岸氏が出し、代金は時の商人と牛方の商荷物にかけて維持すべきことがみえ、「当所どもならびに門葉・両村ともに得心・納得の上、末々橋道の通路相達し、往来の旅人どもをまかり救ふべきもの也」といいのこしている(糸魚川市史)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報