山下保(読み)やましたほ

日本歴史地名大系 「山下保」の解説

山下保
やましたほ

伊呂波いろは川が北流する横山よこやま谷の北端部、現宇佐市山下を遺称地とし、庄域は同所を中心とする一帯に比定される。宇佐宮弥勒寺領。山下別符ともいう。保内には幾つかの名があったが、うち藤丸ふじまる名はのちに宇佐宮御炊殿造営料所宇佐庄に編入されている。鎌倉時代初期と推定される弥勒寺喜多院所領注文(石清水文書)には「山下別符廿丁」、承久二年(一二二〇)一二月日の検校祐譲状(同文書)には「山下保」とある。弘安三年(一二八〇)豊前国留守所は「宇佐郡山下」に対し、国検使得分(宇佐宮行幸会供米用途料)の同二年分を納入するよう命じている(同年七月日「豊前国留守所下文案」永弘文書)。なおこの山下は藤丸名のことをさしていると思われる。永仁五年(一二九七)山城石清水いわしみず八幡宮善法ぜんぽう寺尚清は弥勒寺などの所職庄園田畠以下を処分しており、そのうちに弥勒寺領「山下」がみえ(六月日「尚清処分帳」石清水文書)、元応元年(一三一九)八月日の弥勒寺権別当方祗候人数等定書(菊大路家文書)に、当時から管領している庄々の中の一つとして「山下」がみえる。

当保下司職・田所職は今仁氏が保持していた。延応元年(一二三九)一〇月日の宇佐弥勒寺長吏下知状案(今仁恕子文書)に山下保下司一町・田所一町が確認され、元応三年(一三二一)二月二日の弥勒寺公文所定文写(同文書)では、今仁五郎の当保給田の田畑・居屋敷などの四至境について「東ハかうこ石ヲ限、下タハ東海道限、南ハ光納楠限、西ハ真並ノ大道、北ハ六塔符辰巳ヲ限」とあり、また「まやすミ塚ノ尾東ニ通ス未申ヲ限、袋山・子コ石戌卯限、ケンノキノ中嶋丑寅限、糸口百塔ケ平経塚在之、猿渡河・マヤスノ尾ニイタツテ知行也」と記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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