屏風土代(読み)びょうぶどだい

日本大百科全書(ニッポニカ) 「屏風土代」の意味・わかりやすい解説

屏風土代
びょうぶどだい

屏風色紙形の下書きを巻子(かんす)本に仕立てたものであり、小野道風(おののとうふう)の真筆。宮内庁蔵。国宝。「土代」は下書きの意。こうぞ紙12枚を継いだ4メートル余の一巻に、律詩8首、絶句3首が書かれている。1140年(保延6)藤原行成(ゆきなり)5代の孫、定信(さだのぶ)は、行成筆『白氏詩巻』とともにこの一巻を在俗経師の妻より購入した。そのおりに加えられた『屏風土代』の奥書には、これが延長(えんちょう)6年(928)の「内裏御屏風等詩也」とある。これは『日本紀略』後篇(へん)1の記載とも合致し、時の醍醐(だいご)天皇の宮廷に新調された屏風のためのものであったことがわかる。詩は博学多才で鳴った大内記(だいないき)大江朝綱(おおえのあさつな)で、ときに43歳。名誉の筆をとった道風は小内記で35歳。懐(ふところ)の広い、重厚な書風、そして悠揚迫らぬ筆致は第一人者貫禄(かんろく)を誇っている。色紙形のくぎりごとに墨界を引き、「乙一」「乙二」などと小さく書いてその位置を示す。さらに、随所に書き込まれた書体を変えた同一文字は、彼の推敲(すいこう)の跡を示して甚だ興味深い。

[尾下多美子]

『廣瀬保吉編『屏風土代』和本(1976・清雅堂)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「屏風土代」の意味・わかりやすい解説

屏風土代
びょうぶどだい

小野道風筆の内裏屏風の下書き (土代) 。大江朝綱の漢詩 11首を 11枚の色紙に書き,巻子本1巻にまとめている。宮内庁三の丸尚蔵館蔵。奥書に藤原定信が,「延長6 (928) 年 11月内裏御屏風などの詩なり」と記し,また保延6 (1140) 年 10月 22日これを買ったことを記している。藤原行成の『白氏詩巻』の奥書にも,この巻子を物売り女から『白氏詩巻』とともに買入れた旨を記している。書は豊円温雅で王羲之行書筆意をよく得ている。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「屏風土代」の解説

屏風土代
びょうぶどだい

大江朝綱(あさつな)の詩を屏風の色紙形(しきしがた)に書くための下書。小野道風(みちかぜ)の筆。928年(延長6)醍醐天皇の宮廷に新調された屏風の下書で,当時,少内記の道風は35歳。揮毫のための構想からか,随所に細字で書き入れした推敲の形跡がある。その書は和様ではあるが,藤原佐理(すけまさ)・藤原行成(ゆきなり)の書にみられる繊細さはなく重厚である。御物。縦22.4cm,横316.6cm。

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百科事典マイペディア 「屏風土代」の意味・わかりやすい解説

屏風土代【びょうぶどだい】

小野道風の書。928年に内裏(だいり)の屏風に大江朝綱の詩を書いたときの下書き(土代)で,22.7cm×316.6cmの巻物。藤原定信が道風筆と鑑定,巻末に奥書がある。

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