屋湊(読み)あしやみなと

日本歴史地名大系 「屋湊」の解説

屋湊
あしやみなと

[現在地名]芦屋町船頭町など

中世葦屋あしや津を継承する遠賀川河口の湊で、芦屋津ともよばれた。遠賀川流域の遠賀・鞍手くらて嘉麻かま穂波ほなみ四郡の年貢米・産物が川で当湊に集められ、上方などに積出された。船着場は市場いちば(現在の西浜町)にあり、海路の旅人役所(洲口番所)も置かれていた。黒田長政は筑前入部後、芦屋湊に御船手の士を常駐させ(御船手屋敷は現在の船頭町辺りにあったと思われる)、江戸城・大坂城の手伝普請の際には当湊から資材が積出された(芦屋町誌)。また慶長一〇年(一六〇五)一一月に長政が芦屋代官馬杉喜右衛門(一正)や三宅山太夫(家義)らに送った石船注文の書状(松本家文書)には「九拾五艘、芦屋にて作り申分」とあって、造船所も設けられていた。福岡藩は当地の長野家の蔵を借上げ、遠賀川流域の年貢米を集積。この貢米蔵はのちに太田喜兵衛宗全の所有となる。宗全は中世の葦屋鋳物師太田家おおたけの後裔で、正保年中(一六四四―四八)なかはまに家を建て米穀問屋を営み、その子新左衛門宗岫は中小路なかしようじ町に住んで酒造業を営んだ。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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