尾駮牧(読み)おぶちのまき

日本歴史地名大系 「尾駮牧」の解説

尾駮牧
おぶちのまき

歌枕としての初出は、「後撰集」に次のようにある。

<資料は省略されています>

元禄二年(一六八九)芭蕉の「おくのほそ道」の旅に随行した曾良の「名勝備忘録」に「尾駮御牧 石ノ巻の向、牧山ト云有。ソノ下也」とみえ、「曾良旅日記」にも「日和山ト云ヘ上ル。石ノ巻中不残見ゆる(中略)尾駮ノ牧眼前也」と記す。しかし、歌枕のをぶちの牧については、ほかに青森県上北かみきたろつしよ村尾駮に擬定する説、石巻大瓜おうりおよび牡鹿おしか牡鹿小淵こぶちの転訛説などもある。しかし、尾駮の駒が尾駮牧に移行したいきさつは不明である。尾駮御牧の御牧は官馬飼育の場の呼称とされるが、石巻地方では古来まき山をおまぎやまと呼び習わしている。寛永三年(一六二六)の北上川瀬替工事完成以前、石巻へ注いでいたはさま川・真野まの川は、蛇田へびた水押みずおし西岸から石巻村端郷袋谷地ふくろやち・同住吉すみよし町の中間に通じ、その水先は対岸みなと村側へ突当って右折、そこに河水がよどんで渦を巻いていたため尾淵の巻おぶちのまき、のちに藤の巻ふじのまき地名を残したともいう(稲井町史)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報