小野一吉(読み)おの・くによし

朝日日本歴史人物事典 「小野一吉」の解説

小野一吉

没年:天明3.2.3(1783.3.5)
生年元禄13(1700)
江戸中期の勘定奉行,大目付。左大夫のち日向守。父は勝豊(御家人),母は張代氏の娘。大奥進物取次上番から表火番,御徒目付をへて,勘定昇進,代官にすすみ,認められて勘定吟味役に昇進し,神尾春央没(1753)後の勘定所の中心となる。大坂御用をしばしば勤めた功により,宝暦12(1762)年勘定奉行に昇進,従五位下,日向守に叙任。「御益第一」の幕府経済政策の中心として活躍。明和8(1771)年,大目付に転じ,さらに没年まで西丸本丸の籏奉行となった。御家人身分から旗本に立身出世して,布衣を許されたので「下駄サゲシ手ニ末広ノ扇哉」の句をよんだと,成り上がりの生い立ちが伝説化され喧伝された。

(山田忠雄)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小野一吉」の解説

小野一吉 おの-くによし

1700-1783 江戸時代中期の武士
元禄(げんろく)13年生まれ。幕臣。表火番,代官などをへて勘定吟味役にすすむ。しばしば大坂御用をつとめ,宝暦(ほうれき)12年勘定奉行,明和8年大目付となった。天明3年2月3日死去。84歳。通称は左大夫。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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