小豆島村(読み)あずしまむら

日本歴史地名大系 「小豆島村」の解説

小豆島村
あずしまむら

[現在地名]有田市宮崎みやざき

有田川河口南岸にあり、北湊きたみなと村と川を隔てて向かいあう。南になかの山脈湯浅ゆあさ湾に沿って延び、西端は紀伊水道へ突出て岬状になる。先端部を宮崎といい、現有田市の最西部、南は湯浅湾を隔てて白崎しらさき(現日高郡由良町)と相対する。村は国尾こくお本郷としてその西に浄妙寺谷じようみようじたに中御堂なかみどう、中御堂の北に箕川みのがわの集落がある。いずれも農業を主とし、余業に漁業を営む(続風土記)。国尾の南西に逢井おうい、西南西に矢櫃やびつがあり、ともに湯浅湾に面し、北は山が迫る漁村集落。中御堂の西にたつはま男浦おうら女浦めのうらと続く。いずれも北に海をひかえ漁業を主とする。

慶長検地高目録には「安津島村」とみえ、村高二八八石余、小物成八合。天保郷帳では七六五石余と大幅に増加しており、新田開発が盛んであったことがわかる。

小豆島村
あずしまむら

[現在地名]和歌山市小豆島

名草なくさ郡に属し、田屋たや村東南の紀ノ川北岸にある。ろつ用水の一流(現鴨居川)が南西に流れて村域南部で紀ノ川に合流する。城下大手口の本町ほんまち御門を起点とする大坂街道は、栗栖くるす八軒屋はちけんやより北東に紀ノ川を渡り、当村南東部を通ってやま峠を越える。この紀ノ川の渡を田井たい渡と称し、当村および西田井にしたいきた両村の支配であった。村名の示すように紀ノ川の河道の変動によって中洲となり、後に河北平野に接続した地と推定される。西南方対岸の松島まつしま村同様、古代末期以来河道変動と闘いながら開発された地と思われる。

小豆島村
あずきしまむら

[現在地名]名取市愛島小豆島めでしまあずきしま名取が丘なとりがおか二―六丁目・箱塚はこづか二丁目・植松うえまつ二丁目

南を川内沢かわうちさわ川が南東へ流れる。西方高館たかだて丘陵から東へ突出した愛島丘陵の中央南に位置する。東は植松村、西は笠島かさしま村。天文六年(一五三七)七月二四日の伊達稙宗軍役免除状(伊達家文書)に「名取小豆島郷」とみえ、竹駒たけこま神社(現岩沼市)の神領同郷内しま在家散田八貫五〇〇文の所の陣夫役が免除されている。島在家は当村字島にあったものか。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報