小花冬吉(読み)おばなふゆきち

日本大百科全書(ニッポニカ) 「小花冬吉」の意味・わかりやすい解説

小花冬吉
おばなふゆきち
(1856―1934)

製鉄技術者、鉱業教育家。工学博士。旧幕府の役人であった父作助(1829―1901。のちに小笠原(おがさわら)島初代島司)の子として江戸に生まれる。1879年(明治12)工部大学校(現、東京大学工学部)冶金(やきん)科を卒業、フランス留学から帰国後、工部省、また広島県の技師として、中国地方における古来の砂鉄製錬法の近代化に尽くし、のち農商務技師、秋田鉱山監督局長などを経て、1896年官営八幡製鉄所(やはたせいてつしょ)に転じ、初代製銑部長として創業期の同所高炉技術部門を担当した。1902年(明治35)その技術的不良の責任をとって退任、ふたたび農商務技師として鉱業法立案などにあたり、1910年秋田鉱山専門学校(現、秋田大学工学資源学部)設立とともに校長に就任、鉱業技術者の育成に努めた。

[飯田賢一]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小花冬吉」の解説

小花冬吉 おばな-ふゆきち

1856-1934 明治-大正時代の製鉄技術者,教育者
安政3年1月10日生まれ。小花作助の子。イギリス冶金学をまなび,帰国後農商務技師,秋田鉱山監督署長などを歴任。のち八幡製鉄所にはいり,技師,製銑部長をつとめる。明治43年母校東京帝大の教授,同年秋田鉱専(現秋田大工学資源学部)の初代校長となった。昭和9年3月8日死去。79歳。江戸出身。

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