小石川春日町(読み)こいしかわかすがちよう

日本歴史地名大系 「小石川春日町」の解説

小石川春日町
こいしかわかすがちよう

[現在地名]文京区本郷ほんごう一丁目・春日一丁目・小石川一丁目など

通りを隔てて水戸藩上屋敷の東に位置する。この通り(現白山通)は水道橋で神田川を渡り、水戸藩上屋敷の東側を北上富坂とみざか下で駿河小島藩松平(滝脇)氏上屋敷に突き当っていた。町の北は富坂の通り(現春日通)を隔てて小島藩上屋敷など、東は道を隔てて小石川長右衛門こいしかわちようえもん屋敷・地福じふく院・武家地など、南は武家地。当町は寛永七年(一六三〇)春日局付の下男三〇人が当地一円の原地を大縄地として拝領したことに始まる。拝領地のうち鎮守の稲荷社地二八坪余と水溜りや荒地分を除いた残地を三〇人で割りとり、同年この水溜りや荒地分のうち三五二坪ほどを御家人四人が拝領、両者を合せて春日町と称したといい(御府内備考)、はじめは春日殿かすがどの町と唱えたともいう(文京区史)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報