富高村(読み)とみたかむら

日本歴史地名大系 「富高村」の解説

富高村
とみたかむら

[現在地名]日向市富高・北町きたまち都町みやこまち本町ほんまち中町なかまち南町みなみまち春原町はるはらちよう上町うえまち

現日向市の北西部に位置し、東は日知屋ひちや村、西は塩見しおみ村、南は塩見川を隔てて財光寺ざいこうじ村。豊後街道が富高新町を通り、同町は馬継所であった。「とたか」ともいい、戸高とも記した。豊前宇佐宮神宮寺弥勒寺領富高庄の遺称地。天正年間(一五七三―九二)に通用した日向国五郡分帳に「富高 三十町」とみえる。同一六年八月四日の日向国知行方目録には高橋氏(のち延岡藩主)領として「参拾町 戸高」とある。元禄五年(一六九二)延岡藩領から幕府領となる。

寛永一一年(一六三四)の指出(国乗遺聞)に戸高村とみえ、高四八九石余。万治四年(一六六一)の延岡藩村高内検高覚では内検高八〇六石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報