20世紀日本人名事典 「宮武 外骨」の解説
宮武 外骨
ミヤタケ ガイコツ
明治〜昭和期のジャーナリスト,明治文化史研究家,新聞雑誌研究家 明治新聞雑誌文庫初代主任。
- 生年
- 慶応3年1月18日(1867年)
- 没年
- 昭和30(1955)年7月28日
- 出生地
- 讃岐国小野村(香川県綾南町)
- 別名
- 幼名=亀四郎,別号=半狂堂
- 学歴〔年〕
- 進文学舎
- 経歴
- 豪農の四男に生まれる。雑誌作りに憧れて18歳で上京、明治20年に「頓智協会雑誌」を創刊したが、3年後の28号で折からの憲法発布を諷刺して重禁固3年、罰金100円、監視1年の刑。出所後は失敗や不運続きで、32年に台湾へ渡り、帰国の翌34年、大阪で「滑稽新聞」を創刊、処罰覚悟の捨て身の官僚攻撃で読者を沸かせ、言論界に復帰した。政府からは社会主義者=特別要視察人に指定され、浮世絵雑誌や新聞などのメディアを操ってこれに抵抗後、大正4年衆院選落選を置き土産に上京。不運続きの中でも部分的成功はあったが、大正の中ごろからは江戸文化を中心としたワイセツ研究に転進。13年から吉野作造らと明治文化研究会を開催。15年に東京帝大法学部内に“明治新聞雑誌文庫”が設立されるとその主任となり、以後約30年間、同文庫の充実に尽力した。その間、昭和6年には懴悔録「自家性的犠牲史」を書いて奇名を挙げている。古川柳・浮世絵の研究家としても知られ、晩年は日本新聞史の研究に没頭した。生涯を通じて発禁20回、罰金16回、入獄2回を記録。著書も「筆禍史」「賭博史」「売春婦異名集」など奇書が多い。「宮武外骨著作集」(全8巻 河出書房新社)、「宮武外骨滑稽新聞」(全6巻・別巻1 筑摩書房)がある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報