宮中村(読み)きゆうちゆうむら

日本歴史地名大系 「宮中村」の解説

宮中村
きゆうちゆうむら

[現在地名]鹿島町宮中

鹿島台地に位置し、村名は当地に鹿島神宮が鎮座することによる(新編常陸国誌)。「吾妻鏡」の治承五年(一一八一)三月一二日条に「於宮中狼藉、以鹿島三郎政幹、被補当社惣追捕使」とあり、源頼朝は神宮へ常陸国塩浜しおはま大窪おおくぼ(現日立市)世谷せや(現常陸太田市)を寄進した際、常陸大掾氏一族の鹿島氏を神宮惣追捕使に任じて、神領内の治安維持に当たらせた。以来、鹿島氏は神宮と密接な関係をもちながら鹿島地方に勢力を有し、応安三年(一三七〇)四月二八日の藤氏長者二条師長宣案(鹿島神宮文書)に「当社宮本郷住居幹重(鹿島)、号惣大行事職」と記される。

鹿島神宮社家の所領が多く、永享七年(一四三五)八月の大禰宜中臣憲親等連署起請文案(鹿島神宮文書)に「於宮本郷御手洗河下者、依為 当社荒籬之内、鎮座以来諸公事一切無之者也、其上神官之屋敷・名田等多之」とあるように御手洗みたらし川の流域には大宮司家をはじめとする神官の名田・屋敷が散在していた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報