名田(読み)ミョウデン

デジタル大辞泉 「名田」の意味・読み・例文・類語

みょう‐でん〔ミヤウ‐〕【名田】

平安後期から中世にかけて、荘園国衙領こくがりょうの構成単位をなす田地開墾購入押領などによって取得した田地に、取得者の名を冠して呼んだもの。みょう。→名主みょうしゅ

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「名田」の意味・読み・例文・類語

みょう‐でん ミャウ‥【名田】

〘名〙 平安中期から中世全般にかけて国衙領、荘園の土地制度上の編成単位である名(みょう)に属する田地。
本朝世紀‐久安五年(1149)一一月三〇日「河内国石川御稲田供御人名田等被券宇治入道相国庄之由也」

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「名田」の意味・わかりやすい解説

名田
みょうでん

荘園(しょうえん)・国衙(こくが)領において、名(みょう)に編成され名主によって管理・統轄された田地をいう。荘園内の耕地には除田(じょでん)と定田(じょうでん)の区別があり、除田部分は荘官や在地寺社の給田などに宛(あ)てられて直接荘園領主による収取の対象とはならない。それに対して、定田は荘園領主の年貢・公事(くじ)の賦課対象となる荘園の基幹部分で、この部分がいくつかの名に分割・配分される。畿内(きない)の比較的小さい荘園では名の規模も小さく、名田は荘内各所に相互に入り組んで散在する。名田はすべてがその名主の所有、経営する田地であるわけではなく、名主以外の百姓が所有・経営する田地も少なくなかった。一荘の名の数や規模は荘園領主側の都合によるところが大きいが、荘内に散在する幾片かの耕地がどのような基準で一つの名に編成されるのかは明らかにされていない。中間・遠隔地の大きい荘園では大規模な名も多い。名田は丘陵部の荘園では谷地ごとに比較的まとまって存在した。また村を含み込んで一円的、領域的に存在する場合もあった。名田を名主・百姓などが自由に売買することは荘園領主によって抑圧され禁止されたが、実際には1、2反ずつ、売券に「先祖相伝所領」「相伝私領」「作手(さくて/つくて)」などと表示されて売買されていた。

[安田次郎]

『永原慶二著『日本の中世社会』(1968・岩波書店)』『稲垣泰彦著『日本中世社会史論』(1981・東京大学出版会)』『中野栄夫著『中世荘園史研究の歩み――律令制から鎌倉幕府まで』(1982・新人物往来社)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「名田」の意味・わかりやすい解説

名田
みょうでん

平安時代中期から鎌倉~室町時代における田地の所有者が自己の名を冠した田をいう。しかし一度付せられた名はその所有者が変っても変らずそのまま呼ばれることが多かった。この名田の所有者を名主 (みょうしゅ) と称した。名田の成立については開墾買得口分田 (くぶんでん) や荘地の私有地化など諸説があるが,律令制土地制度の崩壊,荘園制の成立に伴い私有地に対する占有権を明確にしたものである。名田の所在国衙 (こくが) 領荘園とを問わず,当時の土地制度の基礎的単位といえる。鎌倉時代末期以降,名田体制は次第に変質崩壊し,太閤検地で終末をとげた。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

山川 日本史小辞典 改訂新版 「名田」の解説

名田
みょうでん

荘園や国衙(こくが)領で年貢・公事(くじ)徴収単位としての名に編成された田地。国衙領の名が史料にでるのは1053年(天喜元)の大和国大田犬丸名結解(けちげ)が最初。荘園の一般的な名田の出現は早くても12世紀以降である。荘園の名田の規模は数段から2~3町程度がふつうだが,辺境地域ではさらに大規模な場合もあった。名主以外に複数の百姓の作手(さくて)田(所有田)が散在錯圃(さくほ)的に編成されたが,中間地域の山間荘園などでは,しばしば丘陵の小谷ごとに比較的まとまって名田が設定されていることもあり,名共同体の存在を想定する見解もある。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

旺文社日本史事典 三訂版 「名田」の解説

名田
みょうでん

平安中期〜中世,荘園・公領制のもとにおける地主的な土地所有の一形態
名田とは請負耕作者の名を付した田地の意味で,律令制の解体に伴って成長した有力な農民である田堵 (たと) が田に対する耕作権を主張したところに成立。中世を通じて荘園・国衙 (こくが) 領の構成単位で,年貢・公事 (くじ) 賦課の対象となった。

出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「名田」の意味・わかりやすい解説

名田 (みょうでん)

(みょう)

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

百科事典マイペディア 「名田」の意味・わかりやすい解説

名田【みょうでん】

名・名田

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

普及版 字通 「名田」の読み・字形・画数・意味

【名田】めいでん

占有の田。

字通「名」の項目を見る

出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報

世界大百科事典(旧版)内の名田の言及

【均等名】より

…荘園の田地は,名田部分と,荒田,給田,屋敷地等の年貢が荘園領主に入らない除田部分と,荘園領主が直接作人を決定し原則として公事(雑役)のかからない一色田部分とから成るのが普通である。名田部分はいくつかに分けられ,それぞれ名主が年貢,公事を荘園領主に納めるが,この名田部分が均等に分割されているのがいわゆる均等名である。…

【口分田】より

…出生,死亡などによる戸口数の増減に伴う口分田額の調整は,6年ごとにつくられる戸籍に基づいて,同じく6年ごとにめぐりくる班田収授の年に行われた。8世紀半ばから9世紀にかけて口分田の一部は荒廃・再開墾という過程を経て初期荘園の中に吸収され,また9世紀半ば以降,班田収授が励行されなくなると,口分田の多くは名田()として再編成されていったらしい。班田制【虎尾 俊哉】。…

【作人】より

…例えば11世紀末期の東寺領伊勢国川合荘の作人荒木田延能は,大神宮権禰宜で従五位上の位階を有し,吉友・諸枝らの従者を従える田堵であった。田堵の請作関係は,平安末期ごろには名田(みようでん)制に発展するが,その下で名主もまた荘園領主の立場からは作人であった。しかし鎌倉時代以後の作人は,むしろ名田以外の領主直属地(散田(さんでん),一色田(いつしきでん)などという)や名田の一部をあてがわれて耕作した,より下層の小規模農民を指す場合が多い。…

【負田】より

…租税・雑役や年貢・公事等を出す責務を負っている田地のことをいうが,租税あるいは年貢を納入する責任者(負名)の名前を付し“某負田”と称するのが普通である。この場合,負田は〈名(みよう)〉または〈名田〉とも称される。たとえば,大和国広瀬郡にあった大田犬丸負田の結解(けちげ)状をみると,1046年(永承1)から50年までのものは〈大田犬丸負田〉と記されているが,52年のものは〈大田犬丸名〉,翌53年(天喜1)のものは〈大田犬丸名田〉と記されており,翌54年のものはまた〈大田犬丸負田〉にもどっている。…

【名】より

…名の初見は,859年(貞観1)の史料で,以後,戦国時代までみられる。古くは名田と同一視されたが,最近では若干意味が異なると解されている。
[名についての学説史]
 名(名田)には,ふつう人名が冠されている。…

【名主】より

…中世の荘園公領の耕地を分割した名田(みようでん)()を占有し,それを単位として課せられる年貢・公事(くじ)等の納入責任を負った農業経営者をいう。律令制下では戸籍計帳に編成された〈戸〉が支配と収取の単位であったが,班田制と籍帳支配が崩壊すると,代わって〈名(みよう)〉があらわれ,平安時代の10世紀以降は,国衙の支配する公田を分割して請け負う大小の田堵(たと)が公民となり,〈負名(ふみよう)〉と呼ばれた。…

※「名田」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android