実際寺(読み)じつさいじ

日本歴史地名大系 「実際寺」の解説

実際寺
じつさいじ

[現在地名]戸河内町 土居

発坂ほつさか城跡西方に開けた土居どいのほぼ中央にある。臨済宗妙心寺派。無為山と号し、本尊釈迦如来。鎌倉時代末より、この地方を支配してきた土豪栗栖氏一族の喜太郎が出家して帰源と号し、当寺を創設したと伝える(永和元年九月一〇日付「雪舟寄進状」当寺文書)

貞治五年(一三六六)の実際寺領与一野年貢帳写が伝来し、当寺は少なくとも南北朝中期には存在した。応永元年(一三九四)の大内義弘安堵状があり、同三五年八月一九日付の祖綱外四名連署寄進状(当寺文書)は「安芸国山県郡大田郷戸河内村内実際寺領理地庵屋敷事」として、東は「従開山塔仏殿之小庭ヲ限」、南は「横路を至西之谷限」、西は「従谷尾筋ヲ登大峰尾至滝首限」、北は「従滝首平ヲ下至開山塔限」と記す。

実際寺
じつさいじ

[現在地名]安岐町瀬戸田

海印山と号し、曹洞宗、本尊釈迦如来。寺伝では弘仁年間(八一〇―八二四)空海が草創したとされるが、延慶二年(一三〇九)府内萬寿まんじゆ(現大分市)開山直翁の法弟自聞恵光を開山として、大友氏泰の外護により創建された。豊後では二番目の臨済宗の巨刹で、開山は亀山天皇の皇子守良親王の第二子と伝え、仏照覚円禅師の勅諡を受けている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の実際寺の言及

【戸河内[町]】より

…中世,当地を支配した土豪栗栖氏の本拠という発坂(ほつさか)城跡がある。城跡西方にある古刹実際(じつさい)寺は大内義弘安堵状などを蔵する。恐羅漢(おそらかん)山(1346m),深入(しんにゆう)山(1153m)など高山が連なり,町域西半部は西中国山地国定公園に含まれ,三段峡(特名)などの景勝地がある。…

※「実際寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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