安藤年山(読み)あんどう・ねんざん

朝日日本歴史人物事典 「安藤年山」の解説

安藤年山

没年享保1.10.12(1716.11.25)
生年万治2.5.23(1659.7.12)
江戸前・中期の国学者。名為章。通称右平,新介など。年山は号。丹波桑田郡(京都府)尾口に生まれる。父安藤定為,母亀子。兄素軒(為実)。定為が伏見宮貞致親王に仕えたため,幼時より好学の家風の中にあり,若年から伊藤仁斎に学ぶ。のち素軒と共に水戸藩に招かれ,『礼儀類典』の編纂従事,さらに万葉集研究を担当して徳川光圀編『釈万葉集』に結実させた。ほかに源氏物語評論『紫家七論』,随筆『年山紀聞』,歌文集『千年山集』などがある。<参考文献>渡辺刀水「安藤素軒と年山」(『渡辺刀水集』2巻)

(久保田啓一)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「安藤年山」の解説

安藤年山 あんどう-ねんざん

1659-1716 江戸時代前期-中期の国学者。
万治(まんじ)2年5月23日生まれ。安藤朴翁(ぼくおう)の次男。母は安藤亀子。伊藤仁斎,中院通茂(なかのいん-みちしげ)にまなぶ。のち兄安藤抱琴(ほうきん)とともに水戸藩主徳川光圀(みつくに)にまねかれ,「礼儀類典」「釈万葉集」などを編集。享保(きょうほう)元年10月13日死去。58歳。丹波桑田郡(京都府)出身。名は為明,為章。通称は右平,新介。著作に「紫家七論」「年山紀聞」など。

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