礼儀類典(読み)れいぎるいてん

精選版 日本国語大辞典 「礼儀類典」の意味・読み・例文・類語

れいぎるいてん【礼儀類典】

江戸中期の有職故実書。本文五一〇巻、図絵三巻、首巻一巻、目録一巻。徳川光圀編。宝永七年(一七一〇朝廷幕府献上された。水戸藩の修史事業の一環で、中古中世諸家記録から礼法儀式に関する記事を抄出、部類したもの。

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デジタル大辞泉 「礼儀類典」の意味・読み・例文・類語

れいぎるいてん【礼儀類典】

江戸中期の有職故実書。510巻、首巻1巻、目録1巻、図絵3巻。宝永7年(1710)完成徳川光圀が水戸藩の修史事業の一環として編纂へんさんさせた、朝廷での儀式に関する諸史料を収録したもの。

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改訂新版 世界大百科事典 「礼儀類典」の意味・わかりやすい解説

礼儀類典 (れいぎるいてん)

徳川光圀が霊元天皇の内意をうかがい朝廷の実用に役立てることを目的として編集した総合部類記。930年(延長8)から1533年(天文2)にわたる二百数十部の諸家の日記などを中心にして,恒例臨時の朝儀公事に関する記事を網羅的に分類集大成したもの。恒例部は四方拝以下143項目,臨時部は伊勢公卿勅使以下91項目,合わせて本文510巻,付図3巻,首巻・目録を加えて計515巻という他に例を見ない規模をもつ。光圀が編集を志したのは1682年(天和2)で,生前にほぼ完成したと思われる。広義においては《大日本史編纂の付帯事業といえるが,幕府の嫌疑を被らないよう配慮しながら朝廷の意にかなうよう密接に連絡をとり,やがて題号も賜ったことなどは注意すべきである。1710年(宝永7)の朝廷献上本が宮内庁書陵部に所蔵されているほか,内閣文庫,国立国会図書館などに完本がある。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「礼儀類典」の意味・わかりやすい解説

礼儀類典
れいぎるいてん

徳川光圀(みつくに)編。首巻・目録各一巻、本文五百十巻、図絵三巻。恒例・臨時の朝儀234項目にわたり、930年(延長8)より1532年(天文1)までの、諸家の記録233部をもって編纂(へんさん)した総合的な部類記。光圀は、『大日本史』編纂のために集めた記録で部類記をつくり、朝廷の御用に供しようと考え、1682年(天和2)朝廷に奏して霊元(れいげん)天皇の内許を得、翌年正式の勅命により編纂に着手し、1701年(元禄14)完成。1710年(宝永7)朝廷・幕府に献上。書名も同天皇の命名による。本書の完成は、一方で本書引用外の記録を集めた『礼儀類典拾遺』などを生み、他方で同種の総合部類である『群記類凾(るいかん)』『朝儀部類』を生むなど、多大の影響を及ぼした。

[今江廣道]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「礼儀類典」の意味・わかりやすい解説

礼儀類典
れいぎるいてん

有職故実書。貞享3 (1686) ~宝永7 (1710) 年成立。朝廷における年中行事,礼法,儀式に関する史料を諸記録類から引用し,事項によって類集したもので,徳川光圀の命により,安藤為実を総裁として彰考館において編纂された。本文 105巻,序目2巻,図絵3巻。宮内庁書陵部に善本を所蔵する。

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世界大百科事典(旧版)内の礼儀類典の言及

【部類記】より

…(3)は《御産部類記》や《東宮元服部類記》など,臨時の朝儀・公事に関するものを中心として平安末期以降盛んに編集され,以後の部類記の主流となった。一方では江戸時代に入ると,直接的な実用の便よりも,朝儀研究や文献収集などの学問的な関心の高揚を背景にして,(4)型の《礼儀類典》《群記類鑑》などが編纂された。ことに《礼儀類典》は徳川光圀が史局に命じて編集させたもので,引用書目233部,収載項目は234の朝儀公事にわたり,全515巻に及ぶ規模を誇った。…

※「礼儀類典」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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