…1953‐54年ごろ,太閤検地の歴史的意義をめぐって活発な論争が行われた。問題提起者である安良城(あらき)盛昭は,太閤検地以前の社会を家父長的奴隷制と規定し,太閤検地によって小農民経営が自立する契機がつくられ,中世末期の複雑な土地所有関係を領主・農奴という基本的な階級関係に整理した革命的な土地政策として,その意義を高く評価した。これに対して宮川満は,太閤検地が小農民自立に果たした役割を認めつつも,村落支配者層の特権を容認するような妥協的側面も強かったことを指摘し,相対的革新策であると主張した。…
…やがてそのなかから江戸時代をも農奴制に基づく社会とみなすことによって,中世・近世をあわせて封建社会=中世社会とし,中世をその前期,近世を後期とに区分しつつも全体として領主制の形成から崩壊までの過程を考えようとする永原慶二らの見解が生まれた。一方,中世と近世との差異を本質的とみて,中世を家父長的奴隷制社会,近世を農奴制社会とする安良城(あらき)盛昭の説も現れた。こうした安良城による中世社会の規定については異論も多いが,中世を近世社会と区別された独自な社会とする見方は最近では広く認められるようになっている。…
※「安良城盛昭」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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