安座村(読み)あざむら

日本歴史地名大系 「安座村」の解説

安座村
あざむら

[現在地名]西会津町野沢のざわ

まぎ村の西、安座川最上流域の山間にあり、河沼郡野沢組に属した。本村の西に水沢みずざわ、南に堰根せきね(関根)の端村がある。西方九才坂くさいざか峠を境に越後国蒲原かんばら土井つちい(現新潟県上川村)、北は堀越ほりごし村の端村岩井沢いわいざわ。古くは沼岡ぬまおか村と称していたが、蘆名氏統治の時代に安座村と改めたと伝える(新編会津風土記)。安座石の産地として知られた。天正一八年(一五九〇)三月二四日の伊達政宗充行状写(伊達家文書)に「あさの地」とみえ、伊達政宗が野沢の替地として平田周防守に与えた地のうちの一所であった。当時は伊達・上杉両氏領の境目となっていたため、実際の知行は難しかった。政宗は上杉氏との緊張が緩和したら、しかるべき替地を与えると約している。

文禄三年(一五九四)の蒲生領高目録では稲川いながわ郡のうちに「穴」とあり、高四一九石余。寛文五年(一六六五)の野沢組土地帳(西会津町史編さん室蔵)では高三七五石余、家数四七、男一八四・女一三八、馬一八。寛永五年(一六二八)加藤嘉明が若松城を修築した際、当村肝煎二瓶七左衛門は蒲原郡栃堀とちぼり(現上川村)山中から用材を伐り出し、くるま峠と束松たばねまつ峠に新道を開いて運び、真っ先に城下に到着したので、嘉明は褒賞として当村村民小川こがわ庄諸山での木材伐採権を与えたという(新編会津風土記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android