宇良郷(読み)うらごう

日本歴史地名大系 「宇良郷」の解説

宇良郷
うらごう

和名抄所載の郷で、訓を欠く。「大日本地名辞書」「日本地理志料」とも宇良は浦で、井田川いだがわ(蛯沢浦ともいい、昭和初年干拓)にちなみ、現相馬郡小高おだか町の上浦かみうら・下浦・浦尻うらじりを遺称地とし、明治二二年(一八八九)成立の旧福浦ふくうら村の領域とする。領域内にあたる現小高町耳谷みみがいは、文永九年(一二七二)一〇月二九日の関東下知状(相馬文書)に「行方郡耳谷村」とみえ、同じく村上むらかみは正応二年(一二八九)二月二〇日の相馬師胤(か)譲状(同文書)に「行方郡内小高村・耳谷村村上浜」とみえるので、当郷は鎌倉時代には標葉郡から行方なめかた郡へ編入されたと思われる。

宇良郷
うらごう

「和名抄」諸本にみえる郷名。訓を欠くが、ウラと訓み、浦(海辺)の意であろう。天平七年(七三五)一〇月の平城京跡出土木簡(「平城宮木簡概報」二二―二三・二四頁)に「宇羅郷榎浦里」「宇良郷菅浦里」などとみえる。駿河郡の浦と考えられるので比定地は、(一)東田子ひがしたごうら砂丘上の現沼津市今沢いまざわ松長まつなが大諏訪おおずわ・小諏訪付近とする説(沼津市誌)、(ニ)現沼津市はらとする説(旧版「静岡県史」)、(三)伊豆半島北端の現沼津市江浦えのうら多比たび口野くちの付近とする説(静岡県史)がある。

宇良郷
うらごう

「和名抄」所載の郷。諸本とも訓を欠くが、ウラであろう。平城京二条大路跡出土木簡に「智夫郡宇良郷白浜里」とあり、額田部小牛が調として海藻六斤を納めている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報