宇福寺村(読み)うぶくじむら

日本歴史地名大系 「宇福寺村」の解説

宇福寺村
うぶくじむら

[現在地名]西春町宇福寺

東は法成寺ほうじようじ村・北野きたの村・石橋いしばし村、南は中之郷なかのごう村、西は落合おちあい(現春日村)・丹羽郡五日市場いつかいちば(現一宮市)、北は丹羽郡伝法寺でんぽうじ(現一宮市)と接する。村の東半から東へかけて条里制の遺構が確認されており、ななつ(現名古屋市)蔵一切経の「諸経要集」巻五の奥書に、治承二年(一一七八)二月二〇日「春日部西条於雲福寺書畢 執筆円妙房」とあるのが雲福寺(宇福寺)の初見で、これ以降中世を通じての史料に、この地方としては豊富に所見される。「諸経要集」の奥書にあるように、古代・中世には村名の起りである雲福寺が存在したが、この寺院についてはなんら知るところがない。雲福寺郷は中世には熱田社領・甘露寺家領であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報