宇津谷村(読み)うつのやむら

日本歴史地名大系 「宇津谷村」の解説

宇津谷村
うつのやむら

[現在地名]双葉町宇津谷うつや

かやヶ岳山麓の南西端、しお川と釜無川の合流点付近左岸に位置する。永禄四年(一五六一)の番帳の七五番に「うつの屋の禰き」とみえ、当地の諏訪大神社の神職と考えられる。同一一年六月二八日の武田家印判状写(甲州古文書)に「宇津谷村主 源右衛門」がみえ、上様(武田信玄)への奉公の恩賞として家一軒分の普請役を免除されている。天正四年(一五七六)一〇月一八日「宇都野屋」の安部加賀守の実子運甫元策のための供養が行われている(武田家日坏帳)

慶長古高帳では高六九八石余、幕府領、ほかに大明神(諏訪大神社)領一石余。貞享元年(一六八四)検地帳(県立図書館蔵)によると、高九二一石余、麦田八町七反余・上田二町七反余・中田二町余・下田二町八反余・下々田四町八反余、上畑三町二反余・中畑二町七反余・下畑八町三反余・下々畑四二町八反余、屋敷三町六反余。

宇津谷村
うつのやむら

[現在地名]静岡市宇津ノ谷

丸子まりこ宿の西に位置する。中世は宇津谷郷などと称された。東海道が通る。領主手越てごし村と同じ。元禄郷帳では高一八石余。旧高旧領取調帳では幕府領一八石余。一里塚がある(宿村大概帳)。天正一八年(一五九〇)豊臣秀吉小田原攻めの途中で当村の郷民から勝栗と馬の沓を捧げられ、郷民に胴服と黄金を与えた(駿河志料)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報