普請役(読み)ふしんやく

精選版 日本国語大辞典 「普請役」の意味・読み・例文・類語

ふしん‐やく【普請役】

〘名〙
室町江戸時代、大名、諸士、領民などに課せられた城郭・河川・道路の修築などの夫役(ぶやく)
※続撰清正記(1664)六「千石に十人出し、二月二日より十一月晦日迄、普請役致し候なり」
江戸幕府の職名の一つ。享保九年(一七二四)より、勘定奉行支配下で勘定所御取箇方(おとりかがた)組頭の指揮のもとに、東海道五川、一五か国の幕府領の堤、川除(かわよけ)用水などの普請箇所の検分・修築、新田の検分などをつかさどったもの。
地方凡例録(1794)七「新田手代を直に御ふしんやくに仰付られ」

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デジタル大辞泉 「普請役」の意味・読み・例文・類語

ふしん‐やく【普請役】

江戸時代、城郭・河川・道路・橋などの修築の際に、大名・諸士・農民などに賦課された夫役ぶやく

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改訂新版 世界大百科事典 「普請役」の意味・わかりやすい解説

普請役 (ふしんやく)

戦国大名が築城工事や堤防,堰,用水路,橋,道路などの修築のため,家臣や領国民に賦課した課役。家臣にとっては大名に対する軍役奉仕の一つであり,領国民には陣夫役などと並ぶ夫役の一種であった。相模の後北条氏の領国では大普請役といい,村々の貫高(年貢高)を基準に賦課したが,駿河の今川氏は四分一役(しぶいちやく)といい,棟別(家数)を基準に賦課している。このように賦課方法は各戦国大名によりさまざまであるが,大別して貫高か棟別かの二つに分けることができる。後北条氏は貫高20貫文に1人の割合で賦課し,徳川氏は1589年(天正17)には100貫文に2人の割合であった。また今川氏の四分一役とは棟別数の4分の1の人数が割り当てられるところから付けられた名称であり,甲斐の武田領でも棟別役すなわち家別の賦課となっている。後北条氏の場合を例に具体的にみると,貫高100貫文の村には5人の人足が割り当てられ,1人につき年間10日間の労役義務があった。各村は大名もしくは支城主から文書で,人足数,持参すべき道具,労役開始日時,日数,集合場所などを指示された。農閑期の作業が多かったが,食料および鍬,もっこなどの道具持参で,遠い所では作業日前日に現地到着が義務づけられた。このため領民の負担は重く,しだいにこれを忌避する者が増加した。そこで後北条氏は懲罰として遅参1日につき5日の労役を課すことを定めた。

 他方,普請役を勤めない村や割当て人数の少ない村もあった。すべての家臣は軍役の一つとして普請役を奉仕する義務をもっていたが,全部または一部の所領について大名から特別に役を免除される場合があり,大きな寺社では免除されるのが普通であった。その場合にはその所領の村人は大名に対し普請役を勤めなかった。これはどこの大名にも共通している。しかし戦国時代の末期には築城工事が頻繁に大規模に行われるようになったため,人足数が足りなくなり,免除されていた村々にも賦課されるようになる。
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(1)城普請や堤川除(つつみかわよけ)普請などの土木工事における大名,給人(きゆうにん),百姓の役負担。大名は幕府から,給人はそれぞれの主君から領知・知行を給与されていること,百姓は土地を所持し,耕作する権利を認められていることによる負担義務の一つ。近世初頭,統一政権が施行した大規模な土木工事において,普請役は石高基準の国役(くにやく)として統一的に賦課されたが(国役普請),幕藩制が確立すると,大名に対する普請役は公儀御普請御手伝(ごふしんおてつだい)として個別的に賦課されるようになった。御手伝普請の内容も,当初は人足の提供を主とするものであったが,現夫(げんぷ)の徴発が困難となった中期以降しだいに変容し,やがて金納化した。武士の場合,ほかに軍役・役儀を勤めていれば普請役は免除・軽減される原則で,幕府直参(じきさん)では無役の寄合小普請(こぶしん)のみ常時普請役を勤めた。百姓にとって普請役は,種々の労役負担の一つで,国役として賦課される場合と,領主の御普請に動員される場合とがあり,ともに元来は現実の労働力として徴収されていたが,のちには米金(べいきん)で代納された。

(2)江戸幕府の職名。1724年(享保9)設置。46年(延享3)おもに関東の四川しせん)(鬼怒(きぬ)川,小貝川,下利根川,江戸川)流域の普請を担当する四川用水方御普請役,15ヵ国幕領の河川・用水管理,とくに東海道五川(大井川,酒匂(さかわ)川,天竜川,富士川,安倍川)を専管する在方(ざいかた)御普請役,諸国臨時御用を勤める勘定所詰(かんじようしよづめ)御普請役に分課された。
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山川 日本史小辞典 改訂新版 「普請役」の解説

普請役
ふしんやく

戦国期~江戸時代に,城普請や堤川除普請・道路建設などの土木工事における役負担をいう。戦国大名は築城工事や堤防・用水路・橋などの修築のために家臣や領民に賦課した。江戸時代の大名は幕府から,給人はそれぞれの主君から領地・知行を与えられ,百姓は土地を所持し耕作する権利を認められ,町人は町屋敷を所持し営業権を保障されていることによって生じる負担義務。石高(領地・知行高や土地所持高)や屋敷規模に応じて賦課された。織豊政権では国役として統一的に賦課されたが,江戸時代には大名に対して御手伝普請が賦課されることが多い。元来は現実の労働力(人足役)として徴されたが,のちには代金納されるようになった。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「普請役」の意味・わかりやすい解説

普請役
ふしんやく

江戸時代,建築物の築造,土木工事などにあたって徴発された課役。家臣,領民に課することを原則とした。普請役には,(1) 幕府が諸藩に課す御手伝普請,(2) 領主が家臣に課するもの,(3) 幕府および諸藩が領民に課するものの3形態があった。夫役徴発を原則としたが,米納,銭納などの代納が多かった。

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世界大百科事典(旧版)内の普請役の言及

【御手伝普請】より

…その賦課基準は石高で,例えば1594年(文禄3)の伏見城築城の際,徳川家康は役高1万石につき24人の人足を課せられている。なお普請役負担者には扶持米が支給された。 江戸幕府のもとでの普請役動員は開幕直後の江戸城下町建設にあたって大名から役高1000石につき1人の人足(千石夫)を徴したのに始まる。…

【役高】より

…日本近世において,大名以下に賦課される軍役普請役の量は石高を規準として定められたが,これを役高という。領知・知行高がすなわち役高である場合と,これとは別に設定される場合とがあった。…

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