姫子沢(読み)ひめこざわ

日本歴史地名大系 「姫子沢」の解説

姫子沢
ひめこざわ

[現在地名]東部町大字姫子沢

禰津西ねつにし町から烏帽子えぼし岳山麓へ通ずる道及び同山麓東田沢ひがしたざわへ通ずる道沿いの、宮ノ入・姫子沢の二集落。

慶安五年(一六五二)禰津領内の村高及び貢租を記した禰津組・向井組本帳(斎藤典久氏蔵)に「姫子沢村」として段別二一町四段余歩、石高二三七石余とあるのが初見である。寛文元年(一六六一)の「丑ノ御免相掟」(大塚如件氏蔵)にも村名がみえる。

宮ノ入は禰津西町のたつ町の北に通じ、禰津氏の居館があったと伝え、しもじよう山・みや岳の二山を隔てて一二町、西沢中にある姫子沢にも禰津氏の居館があったと伝える。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

事典・日本の観光資源 「姫子沢」の解説

姫子沢

(長野県東御市)
日本の棚田百選指定の観光名所。

出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報