妙楽寺跡(読み)みようらくじあと

日本歴史地名大系 「妙楽寺跡」の解説

妙楽寺跡
みようらくじあと

[現在地名]北川村和田

奈半利なはり川右岸、ほし神社(古くは妙見宮)境内にあったが、明治初年廃寺となった。現在は仏堂のみ残る。

「編年紀事略」に「大宝三年癸卯僧善有安芸郡妙楽寺ヲ造建ス、今善有此峯ヲ修業シテ以為ラク、仏法成就霊地ナリト、即千田野浜ニ寄レル赤木ノ霊木ヲ以薬師仏ヲ造テ之ヲ安置シ、妙楽寺ト号シ四面三町ノ地ヲ寄ス」とある。「南路志」も「大宝三年建立之由古書物社人筋之者所持仕也」と記し、「公文秀貞」と署名のある中世の文書(小島村社人請蔵所蔵妙楽寺古文書)を載せるが、この文書によれば妙楽寺は寛治六年(一〇九二)焼亡、元永元年(一一一八)再興成り、丈六の薬師如来多聞天・持国天の像も造立された。

妙楽寺跡
みようらくじあと

[現在地名]石井町浦庄 上浦

真如山と号し、天台寺門宗の近江園城おんじよう寺末であったが、昭和二二年(一九四七)に廃寺となった。寛政二年(一七九〇)の由緒書覚(妙楽寺文書)によれば、もとは道成どうじよう寺と称したが、天文(一五三二―五五)頃無住になっていたので、永禄三年(一五六〇)備前児島こじま郡の五流修験の先達建徳院の次男見隆が入寺し、修験道本山(京都聖護院を本山とする天台系修験)の袈裟頭・年行事職となったというが、確かなことは不明。

妙楽寺跡
みようらくじあと

[現在地名]有明町上津浦

上津浦氏の菩提寺と推定され、上津浦城跡の付近にある。人吉ひとよし願成寺がんじようじ町の観音かんのん寺境内の観音堂に、文安五年(一四四八)当寺に奉献された鰐口が現存する。鰐口外縁に「奉施入 肥州天草郡上津浦庄妙楽寺薬師如来御宝前 文安五季戊辰三月日 大施主上総介大蔵朝臣種和並万寿若丸 敬白」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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