奥条村(読み)おくじようむら

日本歴史地名大系 「奥条村」の解説

奥条村
おくじようむら

[現在地名]南濃町奥条

庭田にわだ村の南東にあり、北東西駒野にしこまの村。高須たかす(現海津町)より当地を経て北伊勢に至る小原越がある。西駒野村との入会地に鎮座する東天とうてん神社の慶長一八年(一六一三)銘の社殿造立棟札写に奥条とみえる。慶長郷帳海西かいさい郡奥城村とみえ、高二一〇石。元和二年(一六一六)の村高領知改帳では徳永昌重(高須藩)領。正保郷帳では大垣藩領で、田八三石余・畑一二五石余、山年貢一石余、ほかに新開三四石余があった。元禄郷帳には奥条村とあり同藩領。

奥条村
おくじようむら

[現在地名]亀岡市田野ひえだの町奥条

東は鹿谷ろくや村、南は柿花かきはな村、西は芦山あしのやま村、北は山を越えて神前こうざき村。集落の南部を山内やまうち川と桜天神さくらてんじん道がほぼ東西に通る。奥条村は柿花・鹿谷の両村と併せて、古くは山内村と称した。

天保一二年(一八四一)の「桑下漫録」によれば高三〇〇石、戸数五〇、旗本村上鍋五郎知行地。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報