望月町(読み)もちづきまち

日本歴史地名大系 「望月町」の解説

望月町
もちづきまち

面積:一二七・二八平方キロ

佐久平さくだいらの西部に位置し、蓼科たてしな山の北麓大河原おおがわら(二〇九三メートル)付近を最高地点として標高ほぼ七〇〇メートルから二〇〇〇メートルの間に開けた起伏の多い丘陵地で、火山灰の粘土層からなる。浅科あさしな村・立科たてしな町・北御牧きたみまき村・大河原峠付近で茅野ちの市に境を接する町域のうち、集落は鹿曲かくま川とその支流八丁地はつちようじ川及び布施ふせ川の流域御牧原みまきがはら長者原ちようじやばらの丘陵地に散在する。

望月牧の一部を含み、「延喜式」神名帳に記された大伴おおとも神社の鎮座した地と伝える。また茂田井もたい地籍からは布目瓦が出土し、「和名抄」所載の「茂理郷」に比定できる地であるかどうかは別として、奈良時代から平安時代にかけて相当開けた地域であったと考えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報