天城湯ヶ島町(読み)あまぎゆがしまちよう

日本歴史地名大系 「天城湯ヶ島町」の解説

天城湯ヶ島町
あまぎゆがしまちよう

面積:一三五・一四平方キロ

伊豆半島中央部に位置する。東・南・西の三方を天城山脈に囲まれ、北は修善寺しゆぜんじ町、東は中伊豆町、南は賀茂かも郡東伊豆町・河津かわづ町・西伊豆町・賀茂村、西は土肥とい町・戸田へだ村と接する。狩野かの川の源流から本流または支流の谷間に集落が散在する。「日本書紀」応神五年一〇月条によると、伊豆国で造らせた船を枯野船といい、当町軽野かるの神社付近で造られたと伝承される。天慶三年(九四〇)平将門の乱で功績のあった藤原為憲が駿河守に任じられ、狩野氏など子孫が伊豆各地に居住、狩野氏は狩野城を築いて本拠地とした。中世狩野庄に含まれる地域が多かった。戦国期には北条氏の支配下におかれ、北条氏所領役帳に町域内の地名が散見する。近世田方郡に属し、天保郷帳によると一五村が含まれる。天正一八年(一五九〇)伊奈忠次検地を受けた村があり、文禄三年(一五九四)に代官頭彦坂元正が佐野さの大平柿木おおだいらかきぎ雲金くもがね本柿木ほんかきぎ田沢たざわつき門野原かどのはら・湯ヶ島村で、翌四年には青羽根あおばね下船原しもふなばら・上船原・矢熊やぐま吉奈よしな市山いちやまで検地を実施したという(「増訂豆州志稿」など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報