三島代官(読み)みしまだいかん

世界大百科事典(旧版)内の三島代官の言及

【伊豆国】より

…この間,36年(寛永13)まで江戸城の修改築が行われるが,多くの西国大名が動員されて東浦の村々から伊豆石を切り出して江戸へ回送した。寛文・延宝期(1661‐81)の伊豆国の支配概況は,三島代官伊奈兵右衛門6万7688石余(237ヵ村),代官江川英暉(ひでてる)4809石余(13ヵ村),下田奉行今村伝三郎3207石余(10ヵ村),稲葉美濃守4745石余(不明),井出甚五左衛門300石余(4ヵ村)とされたが,98年(元禄11)の地方(じかた)直し以降,小田原藩大久保氏,掛川藩大田氏,荻野山中藩大久保氏の譜代藩領,多数の旗本の知行所が増大し,三島代官支配所は2万石前後に激減した。1702年の元禄郷帳によれば,君沢郡2万2793石余(69ヵ村),田方郡2万5765石余(71ヵ村),賀茂郡3万0628石余(128ヵ村),那賀郡4603石余(17ヵ村)の総高8万3791石余(285ヵ村)である。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」