大須賀胤信(読み)おおすが たねのぶ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大須賀胤信」の解説

大須賀胤信 おおすが-たねのぶ

?-1215 鎌倉時代の武士
千葉常胤(つねたね)の4男。大須賀氏の祖。下総(しもうさ)香取郡大須賀庄(千葉県)の領主。源頼朝の挙兵に父とともに参加。文治(ぶんじ)5年奥州藤原攻めにも従軍した。建暦(けんりゃく)3年和田氏の乱で軍功をたて,甲斐(かい)(山梨県)井上庄をさずけられた。建保(けんぽ)3年9月16日死去。通称四郎

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の大須賀胤信の言及

【大須賀氏】より

…中世下総の豪族。平姓千葉氏族。千葉介常胤の四男胤信から始まる。胤信は源頼朝の奥州征伐に際して先鋒を,畠山重忠討滅戦に際して後陣を務めた。子孫は下総国香取郡大須賀保(現,千葉県香取郡大栄町)を根拠に千葉六党の一つとして活躍。陸奥磐城郡好島荘紙谷郷にも所領をもつ。胤信の孫胤氏は鎌倉幕府の命により宝治合戦(1247)に連座した千葉秀胤を上総一宮に攻め滅ぼした。南北朝・室町時代に千葉宗家は衰えたが,千葉一族一揆中の有力者として守護代を務めるなどして活動,上杉禅秀の乱に際しては禅秀側に属し,1416年(応永23)10月千葉一門中として鎌倉米町表に出陣,40年(永享12)3月結城合戦に際しては大須賀越後守が関東公方の復活を策して結城側に参戦した。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」