日本大百科全書(ニッポニカ) 「大雲寺(中国)」の意味・わかりやすい解説
大雲寺(中国)
だいうんじ
中国唐代、則天武后(そくてんぶこう)によって設置された仏教寺院。大雲経寺ともいう。『長安志』第10巻によれば、隋(ずい)の584年(開皇4)に文帝が僧法経(ほうきょう)をしてこの寺を建てさせた。ところが、延興寺の僧曇延(どんえん)が蝋燭(ろうそく)の炎を自然に発火させるという不思議な業を行ったので、文帝はこれを奇とし、この寺の名を光明寺(こうみょうじ)と改めさせた。武大后のときこの寺の沙門宣政(しゃもんせんせい)が『大雲経』を進上したが、経のなかに「女主之符」(まじないの文字)があったので寺名を大雲経寺と再度改めて、690年(載初1)10月天下の州ごとに大雲経寺を置いたという。日本でも奈良時代に国分寺が全国に設置されたが、これを模したとするものもある。
なお、大雲寺は、実はウイグルのマニ教徒の寺院であるとする説もあるが、強い異論もある。
[加藤 武]
『松本清張著『清張通史6 寧楽』(1983・講談社)』▽『鎌田茂雄著『中国仏教の寺と歴史』(1983・大法輪閣)』
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