大隅町(読み)おおすみちよう

日本歴史地名大系 「大隅町」の解説

大隅町
おおすみちよう

面積:一四五・五八平方キロ

曾於郡の中央部に位置する。東は松山まつやま町、南は有明ありあけ町・大崎おおさき町、西は輝北きほく町、北西末吉すえよし町、北は姶良あいら福山ふくやま町に接する。町域は北西から南東にやや細長く、福山町に端を発し北西部高地から南東へ流れるまえ川・月野つきの川がそれぞれ町内を貫流、ともに町の東境を南流する菱田ひしだ川に合流し、志布志しぶし湾に注ぐ。シラス台地を流れるこれらの川によって大小の谷が形成され、田地に利用されている。川と川の中間地帯の高台には畑地および山林原野が分布するが、八合原はちごうばるは住宅地として、笠木かさぎ地区は食品・繊維などの企業が進出している。当町に高い山はなく、神牟礼かみむれ山も標高三〇〇メートル余にとどまる。国道一〇号が坂元さかもと付近を東西にかすめ、国道二六九号が町の東部の岩川いわがわ・月野地区を南北に通る。また志布志―福山線、垂水たるみず南之郷みなみのごう線などの主要地方道が岩川を経由して東西に通る。

大隅町
おおすみちよう

[現在地名]金沢中橋町なかばしまち

中橋町広岡ひろおか町の南に位置。明治二年(一八六九)に成立した町。もとは加賀藩年寄役長大隅守下屋敷地。長氏は、俗に八家とよばれる加賀藩の重臣知行は三百三千石。延宝町絵図に長九郎左衛門請地と記される。寛文一一年(一六七一)長氏は能登の所領を召上げられたことから、家士は残らず能登より金沢へ引越し、当地を請地とした。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報