大織冠神社(読み)たいしよつかんじんじや

日本歴史地名大系 「大織冠神社」の解説

大織冠神社
たいしよつかんじんじや

[現在地名]大和郡山市南郡山町

南郡山町の北西隅に鎮座。祭神藤原鎌足。「多聞院日記」天正一六年(一五八八)四月三日条に「多武峰大織冠郡山ヘ今日宮移在之、神も和光同塵ノ故天気快然被入了、希代々々」とあり、豊臣秀長が郡山城の鎮守神として、城の西側に隣接する丘陵上に祭祀し、新多武峯しんとうのみねと称したのに始まる。天正一三年閏八月二四日、僧兵強暴で名高い多武峯は、羽柴秀吉の政策により一山の弓・鉄砲など残らず没収された(多聞院日記)。「多聞院日記」、談山神社所蔵文書(大和志料)によると、おりから内部抗争し弱体化した多武峯衆に対し、秀長は寺領六千石を与えるという条件で大織冠の郡山城下への移遷を勧誘、衆徒の大半が城下へ退出して社殿建立、天正一六年三月二六日には遷座の綸旨が下され、最終的には寺領三千石が寄進されて四月三日に大織冠の影像は郡山に移った。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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