大田宿(読み)おおだじゆく

日本歴史地名大系 「大田宿」の解説

大田宿
おおだじゆく

[現在地名]美東町大字大田

大田のほぼ中央、大田市おおだいちに置かれた近世の宿で、船木ふなき街道を北上すれば絵堂えどう宿、南下すれば厚狭あさ郡の吉部市きべいち(現楠町)を経て山陽道の舟木市ふなきいち(現楠町)に至る。

当地は、長登ながのぼり鉱山繁栄に伴い物資の集散地となり、市が立ったが、その成立時期について「注進案」は、升役石や中世佐波さば宮市みやいち(現防府市)にみられた津料銀という課税が残っていることから「彼是考るに山口時代より始りし事どもにや」と記している。宝暦一〇年(一七六〇)大田市の年寄御恵米方大野七郎左衛門が提出した文書によれば、大田市の町筋はもと字山根の地蔵やまねのじぞう院の先の田の中にあったといい(宰判本控)後世の位置より東にあったことになる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報