大政所(読み)オオマンドコロ

デジタル大辞泉 「大政所」の意味・読み・例文・類語

おお‐まんどころ〔おほ‐〕【大政所】

《「おお北の政所」の略》摂政関白の母の敬称

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精選版 日本国語大辞典 「大政所」の意味・読み・例文・類語

おお‐まんどころ おほ‥【大政所】

〘名〙
① 摂政・関白の母をいう尊敬語大北政所(おおきたのまんどころ)
多聞院日記‐天正五年(1577)二月八日「大政所ヘ二荷〈めん十は・かき二わ・ひしを〉進上了」
御旅所をいう。
康富記‐応永八年(1401)六月七日「今日祇園祭也。大政所参詣、拝神輿」

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「大政所」の意味・わかりやすい解説

大政所
おおまんどころ

摂政関白(せっしょうかんぱく)の母の称。貴人の妻を北方(きたのかた)、母を大北方といい、摂関の妻を北政所とよぶのに対し、母を大北政所と称した。大政所は大北政所の略称である。狭義には、関白太政(だじょう)大臣豊臣(とよとみ)秀吉の生母なか(1513―92)のことをいう。正室おねのことを北政所と称したことに対していい、『秀吉任官記』に「其後大坂立勅使、以御臺(みだい)任北政所、以母儀任大政所」とみえる。

[橋本政宣]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大政所」の意味・わかりやすい解説

大政所
おおまんどころ

摂政,関白家の母の称。摂政,関白家の妻を北政所 (きたのまんどころ) と称したので,初めは母を大北政所といい,のちこれを略して大政所といった。安土桃山時代,特に豊臣秀吉の母を大政所といった。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大政所」の解説

大政所 おおまんどころ

天瑞院(てんずいいん)

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世界大百科事典(旧版)内の大政所の言及

【天瑞院】より

…秀吉,その姉瑞竜院日秀を生み,のち再嫁して秀長,朝日姫(徳川家康の妻)をもうけた。1583年(天正11)秀吉の大坂築城後は城内に居し,秀吉が関白になると従一位に叙せられ,大政所と称された。86年10月秀吉が家康と講和のとき,家康を上洛させるために三河岡崎城に下った。…

【豊臣秀吉】より


[太閤伝説の成立]
 秀吉の出生はなぞにつつまれており,自己宣伝的要素と重なって忠実を無視した物語が作られた。すなわち,秀吉の母(大政所,天瑞院)は萩中納言という貴族の娘で,尾張に配流されていたが,許されて上洛して宮中に仕え,再び尾張に帰ってすぐに秀吉を生んだと,天皇の落胤であることを暗示するものである。これは大村由己(ゆうこ)の《関白任官記》にも記され,ひろく流布した。…

※「大政所」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」