大川戸村(読み)おおかわどむら

日本歴史地名大系 「大川戸村」の解説

大川戸村
おおかわどむら

[現在地名]栃尾市大川戸

来伝らいでん川が刈谷田かりやだ川に合流する地点の刈谷田川右岸に位置する。東は菅畠すがばたけ村に続く河岸段丘が広がり、北に向かって氾濫原につながる。南は赤谷あかたに村。文明年間(一四六九―八七)の長尾・飯沼氏等知行検地(上杉家文書)に飯沼弾正左衛門尉分の高波たかなみ保のなかに鳥羽蔵主の給地として「大川戸」がみえる。永禄三年(一五六〇)五月九日の渡辺綱外六名連署起請文(同文書)には栃尾衆の一人で、当地の村殿とみられる大河戸市介忠繁の名がある。

元和六年(一六二〇)の長岡藩知行目録では大河戸村とあり、高七四石三斗余。

大川戸村
おおかわどむら

[現在地名]松伏町大川戸

松伏村の北に位置する。北より東にかけて庄内古しようないふる川、西方古利根川が流れる。大河土おおかわど御厨の遺称地とする説がある。地内の熊野神社は鎌倉期の創建とされ、現在は八幡神社に合祀されているが、中世文書を伝えており、それによれば正和五年(一三一六)一一月一〇日の弘円寄進状などに「下河辺下方大河戸」とみえるものの、検討を要する文書という。元亀二年(一五七一)である辛未一一月晦日付の北条家印判状写(内山文書)に「柿木・川戸」とみえ、内山弥右衛門は当地などの同年分の知行上銭六貫文のうち当年の年貢未進分を立川式部から一二月一〇日までに請取るよう命じられている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報