大岡郷(読み)おおおかごう

日本歴史地名大系 「大岡郷」の解説

大岡郷
おおおかごう

和名抄」所載の郷。東急本の訓は「於保乎加」。山城国葛野かどの郡・大和国添上そうのかみ郡・三河国碧海あおみ郡にも同名の郷がある。比定地に定説はなく、「郷荘考」は正戸まさと岡御所おかごしよ(現高岡市)を候補地にあげ、「三州志」が小矢部おやべ右岸の丘陵地にあたるおか(現小矢部市)にあてるのに対し、「越中志徴」は岡村を長岡なかおか郷・糸岡いとおか郷の本郷とみている。また、「日本地理志料」は、小矢部川左岸一帯を中心とする宮島みやじま郷に比定し、そのなかに右岸の岡村・宇治うじ(宇治新村)などを含めるが、「大日本地名辞書」は不詳としながらも、礪波郡北部で小矢部川右岸に位置する立野たての福田ふくた(現高岡市)付近を可能性の一つにあげる。

大岡郷
おおおかごう

「和名抄」高山寺本に「於保乎賀」、刊本に「於保於加」と訓ず。「延喜式」諸陵寮式に「大岡墓 桓武天皇夫人従三位藤原氏、在山城国葛野郡大岡郷、守戸一人」とあり、墓は藤原吉子の墓である。また長寛二年(一一六四)七月の藤原某所領堂舎并田畠坪付目録(東文書)には藤原某の所領として「大岡郷下村戸見里卅四坪田一町月読社司延助避申田也」と記され、松尾まつお(現西京区)の摂社たる月読つきよみ(現西京区)に近かったと思われる。

大岡郷
おおおかごう

「和名抄」高山寺本・刊本ともに訓を欠く。「大和志」は「方廃広岡村存」として現奈良市広岡ひろおか町に比定。天平一四年(七四二)一一月一五日の仁戒優婆塞貢進解(正倉院文書)に「大養徳国添上郡大岡郷」がみえる。

大岡郷
おおおかごう

「和名抄」高山寺本・刊本ともに訓はない。郷域は安城市内旧大岡村に比定することに諸説一致している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報