大和魂(読み)ヤマトダマシイ

デジタル大辞泉 「大和魂」の意味・読み・例文・類語

やまと‐だましい〔‐だましひ〕【大和魂】

日本民族固有の精神。勇敢で、潔いことが特徴とされる。天皇制における国粋主義思想、戦時中の軍国主義思想のもとで喧伝された。
日本人固有の知恵・才覚。漢才からざえ、すなわち学問(漢学)上の知識に対していう。大和心
「なほ才をもととしてこそ、―の世に用ゐらるる方も強う侍らめ」〈・少女〉

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精選版 日本国語大辞典 「大和魂」の意味・読み・例文・類語

やまと‐だましい ‥だましひ【大和魂】

〘名〙
① 「ざえ(漢才)」に対して、日本人固有の知恵・才覚または思慮分別をいう。学問・知識に対する実務的な、あるいは実生活上の才知、能力。やまとごころ。やまとこころばえ。
※源氏(1001‐14頃)乙女「才を本としてこそ、やまとたましひの世に用ひらるる方も」
② 日本民族固有の気概あるいは精神。「朝日ににおう山桜花」にたとえられ、清浄にして果敢で、事に当たっては身命をも惜しまないなどの心情をいう。天皇制における国粋主義思想の、とりわけ軍国主義思想のもとで喧伝された。やまとだま。やまとぎも。
※読本・椿説弓張月(1807‐11)後「事に迫りて死を軽んずるは、日本(ヤマト)だましひなれど多くは慮の浅きに似て」

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改訂新版 世界大百科事典 「大和魂」の意味・わかりやすい解説

大和魂 (やまとだましい)

文献のうえで〈やまとだましい〉が登場するのは《源氏物語》乙女の巻で,光源氏は,12歳になった長男の夕霧に元服の式をあげさせ,周囲の反対を押し切って大学へ入れる。その際,〈才(ざえ)を本(もと)としてこそ,大和魂(やまとだましい)の世に用ひらるゝ方(かた)も,強う侍らめ〉と述べている。ここでは(1)大和魂は才(漢学の素養,漢才(からざえ))と反対の概念をなしていること,(2)本(もと)が才であり,したがって,末に位置するものが大和魂であること,(3)大和魂の属性として〈世に用ひらるゝ方〉すなわち処世的手腕・功利主義的判断能力が考えられていたこと,この三つの特性が認められる。従来の源氏注釈家たちは,〈大和魂〉について,世才,良識,先天的にそなわった気ばたらき,融通のきく常識的政治判断,世渡りの才能,交際上手,如才なさ,実人生に対する理解力,などの解釈を与えている。

 次に登場するのは《大鏡》巻二の左大臣時平の伝である。藤原時平は菅原道真を讒訴(ざんそ)したとして後世悪名が高く,時平が短命であり,その子孫らもすぐに絶えたのは道真の怨霊によるものとされた。〈あさましき悪事を申しをこなひたまへりし罪により,このおとゞの御末はおはせぬなり。さるは,やまとだましひなどはいみじくおはしましたるものを〉と述べたあと,三つのエピソードを紹介している。(1)奢侈(しやし)禁止令がすこしも実行されなかったとき,時平は醍醐帝としめしあわせ,わざと華美な服装をしてお叱りを受け,1ヵ月謹慎し,禁令の徹底を図った。(2)時平には度外れた笑い癖があり,政務の途中で下僚の放屁を聞いて笑い出し,帰邸してしまった。(3)道真が北野天神にまつられてのち,清涼殿に猛烈な落雷があったが,時平は太刀を抜いて,〈あなたは存命中でもわたしの次席だったではないか。たとえ神となっても,この世では遠慮すべきだ〉と,空を睨んだところ,雷は静まった。--こうしてみると,《大鏡》成立当時,平安後期ころの〈やまとだましい〉の属性には,政治技術としてのトリック,明朗なる笑いの精神,咄嗟(とつさ)のさいの機知,頭の回転の早さ,などが含まれていたと考えてよいだろう。

 第3の例は《今昔物語集》巻第二十九に載る話で,貧乏学者清原善澄の家に強盗が入ったとき,善澄はいったんは板敷(すのこ)の下へ逃げ隠れたが,あまりに口惜しかったので泥棒が門を出て行ったあとを追って行き,〈耶(や),己等(おのれら),シャ顔共皆見ツ。夜明ケムマヽニ検非違使(けびいし)ノ別当ニ申シテ片端ヨリ捕ヘサセテム〉と叫んだところ,盗人どもは引き返し,とうとう殺されてしまった,とあり,末尾で〈善澄才(ざえ)(漢学)ハ微妙(いみじ)カリケレドモ,露(つゆ),和魂(やまとだましい)无(な)カリケル者ニテ,此(かか)ル心幼キ事ヲ云テ死ヌル也トゾ〉と批評されている。ここでは,〈やまとだましい〉の属性として,(1)周囲状況を判断して臨機応変の思考や行動をとり得る能力,(2)子どもっぽい幼稚未熟な精神とは正反対の世慣れた考え方,劫﨟(こうろう)を経た人柄,思慮分別などが挙げられる。清原善澄は実在の人物で,《御堂関白記》寛弘4年(1007)5月30日条によると,諸道論義の席上で狂人の形相を呈してきたために〈追立事了〉(退場させられた)という。そのことを併せ考えると,(3)激しても理性や正気を失わない態度,奇行や非常識な発言を自制することも,〈やまとだましい〉の属性に含めてよいかもしれない。

 第4の例は関白藤原忠実の談話を,中原師元が筆録した《中外抄》の久安1年(1145)8月11日条で,父の師通(もろみち)が幼少年時代の忠実を,いい子だが学問をしたがらないのが残念だ,といったとき,大江匡房が,摂政関白になるには必ずしも漢学の才能がなくてもよろしい,〈やまとだましい〉さえすぐれていれば天下を治めることは可能です,と答えたという記事である。藤原忠実が藤原の氏長者(うじのちようじや)として,白河院を中心とする勢力に対抗し,摂関家の威信を高めようとしてその結果,保元の乱が起こったことなどをも考えあわせると,〈やまとだましい〉とは,皇室をも敵に回して対峙する摂関家の政治的能力の属性でもあったともいえよう。

 第5の例は《愚管抄》巻四で,著者慈円は摂関家の家筋でもない藤原公実が,ただ鳥羽帝の外舅であるとの理由だけで摂政になりたがったことを非難し,公実が和漢の才に富み,知足院殿(藤原忠実)よりも人柄や〈やまとだましい〉がまさっていて,見識ある人からも賢者といわれた藤原実資などのように思われることもあったのだろうか,と述べている。〈やまとだましい〉が摂関家に固有の精神的属性という面のあったことがうかがわれる。

 第6の例は,時代がずっとくだった南北朝ころかと思われる《詠百寮和歌(えいひやくりようわか)》である。この百首和歌は,官職の名を題にして詠まれたもので,その中に〈文章博士〉と題して〈新しき文を見るにもくらからじ読開(よみひら)きぬる大和と玉しゐ〉の一首がある。作者は不明であるがすでに実体も制度も空無に帰した中世の宮廷文化を眼前にしたある知識人が,かつての摂関政治文化の盛時に思慕と憧憬の思いをはせての作と解し得るのではなかろうか。

 以上,古代・中世の文献にあらわれた〈やまとだましい〉の用例をみてきたが,こののち,中世末から近世初頭にかけて,三つ四つの語釈書に引かれたことを例外とすれば,表だって〈やまとだましい〉の語が問題に据えられたことはなかった。なお,〈やまとだましい〉と同じ意味で,〈やまとごころ〉という語もあり,〈漢意(からごころ)〉に対応するものであった。近世も半ばを過ぎ,賀茂真淵および本居宣長によって改めて〈やまとだましい〉(やまとごころ)が取り上げられるようになる。それは,人間の自然の心情のままにすなおでやさしく,めめしくもある心映えであり,宣長の〈敷島のやまとごころを人問はば朝日ににほふ山桜花〉の歌も,みやびで純一な民族性を詠んだものであった。しかしこの歌はやがて桜花の散るいさぎよさが強調して解釈されるようになる。幕末になって尊王攘夷論が勢力を得ていく過程において,〈やまとだましい〉は,しだいに武断的な国粋思想に利用されはじめ,誤った〈和魂漢才〉説まで創案されるに至るのである。

 明治から昭和の敗戦に至る間,日本国民は,〈やまとだましい〉といえば,天皇制国家を支える国体観念の淵源であると教えられた。戦場に赴けば果敢にたたかって死ぬことで武士道の極致をきわめよと教えられ,〈やまとだましい〉が至上の精神価値と見なされたのである。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大和魂」の意味・わかりやすい解説

大和魂
やまとだましい

日本民族固有の精神として強調された観念。和魂,大和心,日本精神と同義。日本人の対外意識の一面を示すもので,古くは中国に対し,近代以降は西洋に対して主張された。平安時代には,和魂漢才という語にみるように,日本人の実生活から遊離した漢才(からざえ),すなわち漢学上の知識や才能に対して,日本人独自の思考ないし行動の仕方をさすのに用いられた。江戸時代に入り,国学者本居宣長は儒者の漢学崇拝に対抗して和魂を訪ね,「敷島のやまとごころを人問はば朝日に匂ふ山桜花」と詠んで,日本的美意識と,中華思想に対する日本文化自立の心意気をうたいあげた。幕末にいたり,対外危機の深まるなかで,佐久間象山橋本左内らによって「西洋芸術」に対比された「東洋道徳」の思想内容は大和魂であり,吉田松陰の詠んだ「かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂」は,尊皇攘夷の行動精神を熱情的に吐露したものとして有名である(→攘夷論)。明治天皇制国家のもとでは,大和魂はナショナリズムの中核的要素として重視され,内容的にも芳賀矢一らによって天皇への忠誠,国家と自然への愛として強調され,さらに新渡戸稲造によって武士道の国民的規模への展開として説かれた。その後は日本民族の発展のための対外拡張を美化する精神的支柱としての色彩を濃くし,昭和の戦時には軍人の士気高揚のスローガンとして用いられた。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「大和魂」の意味・わかりやすい解説

大和魂
やまとだましい

漢才、すなわち学問上の知識に対して、実生活上の知恵・才能を意味することばとして平安朝の文献に現れているが、いまは日本民族固有の精神をさすことばとして通用している。和魂とも書く。嘉永(かえい)年間(1848~54)板行の中条信礼(ちゅうじょうのぶのり)著『和魂邇教』一巻はヤマトダマシイチカキオシエと訓(よ)み、この書の姉妹書とみるべきものに1857年(安政4)板行の『和魂邇教山口』があった。大和魂という語は、吉田松陰(しょういん)の「かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂」という歌に典型的に表現されているが、松陰に先だって本居宣長(もとおりのりなが)が「敷島(しきしま)の大和心を人問はば朝日に匂(にほ)ふ山桜花」と歌ったときの大和心は、その先駆的表現であったとみてよい。そのようにこの語は徳川期、ことにその末期に盛んに使用されたが、これは、幕藩体制が内外の諸原因から動揺し始めた危機的状況を反映しているものであろう。明治以後も対外戦争のたびごとに強調されたこと、たとえば太平洋戦争時の斎藤茂吉(もきち)に「ひとつなるやまとだましひ深深(ふかぶか)と対潜水網をくぐりて行けり」という詠があるがごとくであった。それに比べれば、大和心はやや平時的、文化的ニュアンスを帯びている。

[古川哲史]

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歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典 「大和魂」の解説

大和魂
やまとだましい

歌舞伎・浄瑠璃の外題。
初演
明治37.2(東京・宮戸座)

出典 日外アソシエーツ「歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典」歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典について 情報

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