日本大百科全書(ニッポニカ) の解説
大口(鹿児島県の旧市名)
おおくち
鹿児島県北部にあった旧市名(大口市)。現在は伊佐(いさ)市の北西部を占める地域。旧大口市は大口盆地の中心都市。1954年(昭和29)大口町、山野町、羽月(はつき)村、西太良(にしたら)村が合併して市制施行。2008年(平成20)伊佐郡菱刈(ひしかり)町と合併、伊佐市となった。川内川(せんだいがわ)上流の盆地で周囲は凝灰岩、シラスからなる山地。JR水俣(みなまた)、栗野駅からバスがある。国道267号で久七(きゅうしち)峠(地元では「くしち」とよぶ)を越えると人吉(ひとよし)市に至る。歴史が古く、縄文、弥生(やよい)、古墳時代の遺跡が多い。中世、菱刈、相良(さがら)、島津の3氏が領有を争ったが、戦国時代末期に島津氏に帰した。江戸時代には、島津氏は直轄の麓(ふもと)(外城(とじょう))を大口に置いたほか、周囲3か所にも設置し、肥後(熊本県)に対する北辺の守りを固めた。国の重要文化財の祁答院家住宅(けどういんけじゅうたく)は、江戸中期の郷士(ごうし)の武家屋敷の姿をそのまま残している。
農業が基幹産業で、米の生産が多く伊佐米の産地として知られるほか、最近、ブタ、肉牛の畜産の伸びが著しい。宮人(みやひと)のジャパンファームは、常時6万頭のブタを飼育している。鉱業は牛尾(うしお)、布計(ふけ)に金山があったが閉山した。史跡や景勝地が多く、郡山八幡(こおりやまはちまん)神社、白木神社や曽木(そぎ)の滝、十曽(じっそう)池、奥十曽渓谷などがある。
[平岡昭利]
『『大口市郷土史研究 1・2集』(1961、1963・大口市)』▽『『大口市十年誌』(1965・大口市)』▽『『大口市郷土誌』上下(1978、1981・大口市)』