多田院(読み)ただいん

国指定史跡ガイド 「多田院」の解説

ただいん【多田院】


兵庫県川西市多田院にある寺院源満仲(みなもとのみつなか)が970年(天禄1)に建立した寺で、域内には金堂・塔婆・学問所・法華堂常行堂御影堂が営まれて惣社六社権硯を祀り、荘厳を誇っていたが、中世後期には衰退した。江戸時代に入り、幕府は新たに本殿拝殿・釈迦堂などを設け、多田権現の神号を受けるなど、神社としての色彩を濃くし、明治維新後に多田神社改称。社地は当初の位置を継承し、境内四方石垣・堀をめぐらせたなかに、源満仲・同頼光の墓、足利尊氏の分骨の墓などが残る。源満仲の廟所として鎌倉・室町・江戸幕府の崇敬を受けた、歴史上重要な寺院であることから、1951年(昭和26)に国の史跡に指定された。本殿、拝殿、随神門は重要文化財の指定を受け、境内には宝物殿があり、源氏ゆかりの宝物を展示している。能勢電鉄妙見線多田駅から徒歩約15分。

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精選版 日本国語大辞典 「多田院」の意味・読み・例文・類語

ただ‐の‐いん ‥ヰン【多田院】

兵庫県川西市多田院にあった寺。山号は鷹尾山。天祿元年(九七〇)多田(源)満仲がその子源賢を開山創建。満仲を主神に頼光、頼信、頼義、義家の霊をまつり、源氏の菩提(ぼだい)所となった。寛文七年(一六六七)再建。明治維新の際の神仏分離以後、多田神社となる。法華三昧院。ただいん。

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世界大百科事典 第2版 「多田院」の意味・わかりやすい解説

ただのいん【多田院】

摂津国河辺郡多田(現,兵庫県川西市)にあった寺院。正しくは多田院鷹尾山法華三昧堂。現在多田神社。970年(天禄1)摂津守源満仲の創建で,その子息天台僧源賢を開山とする。本尊は丈六釈迦仏で願主は満仲,そのほか文殊(もんじゆ)菩薩は頼光,普賢ふげん)菩薩は頼親(大和源氏の),四天王は頼信(河内源氏の祖)と,それぞれ満仲の子息たちが願主となっている。その前年の安和(あんな)の変で中央政界に地歩を確立した満仲は,摂津守として現地に赴任し,多田の地を根拠地に定めて多田館を建立する。

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