夏秋村(読み)なつやきむら

日本歴史地名大系 「夏秋村」の解説

夏秋村
なつやきむら

[現在地名]長坂町夏秋なつあき

塚川つかかわ村の北、南に流れるはと川沿いにあり、同川が八ヶ岳南麓台地から台下に流れ落ちる作用で刻まれた谷頭の南台地面に集落がある。建武四年(一三三七)三月七日の足利直義安堵下文写(諸家文書)逸見へみ庄内の「夏焼村因狩倉」などがみえ、度々の外題安堵、および亡父二階堂行貞の文保三年(一三一九)正月一六日付譲状に任せ、出羽民部大夫(二階堂)政頼に安堵されている。慶長六年(一六〇一)検地帳(県立図書館蔵)には逸見筋夏秋之郷とあり、上田八反余・中田二町七反余・下田二町八反余・下々田三町四反余、上畑二反余・中畑七反余・下畑三町余・下々畑五反余、弾正荒田畑三反余・熊蔵荒田畑四町余、屋敷数九。

夏秋村
なつあきむら

[現在地名]名張市夏秋・蔵持くらもち緑が丘中みどりがおかなか蔵持くらもち緑が丘西みどりがおかにし桔梗が丘西ききようがおかにし一番町

大屋戸おやど村・松原まつばら村の北に続き、集落は山麓を開いて立地し、名張川が曲流する西側の狭い沖積地が農地となる。地元でナッチャケとよぶのは古くは「夏焼」と書いた名残であろう。板蠅いたばえ杣の四至内で、黒田くろだ本庄の最北端にあたる。康保三年(九六六)四月二日の伊賀国夏見郷刀禰等勘申案(東大寺文書)では、夏焼は大屋戸とともに名張川の西、薦生こもお牧の上方に位置し、刀禰などは、特定の領主はいないと主張している。平安中期以後板蠅杣に寄住した住民などが夏焼村などを形成し、以後東大寺領としての時代が長く続いた。建武二年(一三三五)三月三日の東大寺別当聖珍御教書案・同年四月一〇日の東大寺年預所下知状案・永享一一年(一四三九)七月二二日の黒田庄百姓等連署起請文(いずれも東大寺文書)などに「夏焼村」がみえ、大屋戸と同じ経過をたどったと思われる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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