増穂ヶ浦(読み)ますほがうら

日本歴史地名大系 「増穂ヶ浦」の解説

増穂ヶ浦
ますほがうら

富来川河口から酒見さかみ川河口にいたる約四キロの砂浜。鎌倉の由比ゆいガ浜、和歌山の和歌の浦と並ぶ三名浜の一つといわれた。富来浜とも称し、南西の風が強いときは浜砂が田地へ吹込んで地味も衰えたため、砂害のひどかった八幡やわた八幡座主やわたざす給分きゆうぶん中泉なかいずみ里本江さとほんごう五ヵ村では、寛政三年(一七九一)・享和三年(一八〇三)に藩に陳情して砂防松の植付、砂留垣の造成を行った。しかし年を経るにつれ砂留垣は腐損、村人らで修繕していたが、天保元年(一八三〇)から同八年にわたる凶作で修理もままならず、松木も減少してしまった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報