塩尻西条城跡(読み)しおじりにしじようじようあと

日本歴史地名大系 「塩尻西条城跡」の解説

塩尻西条城跡
しおじりにしじようじようあと

[現在地名]塩尻市大字上西条・中西条・下西条

塩尻市かみ・中・下西条の南側の山々の峰は中世山城・狼煙台として利用され、その麓には館跡と推定される場所が残っている。

鎌倉初期には諏訪社下社領であり、諏訪大社下社文書によれば建久二年(一一九一)には西条に捧紀五近永、東条には塩尻次郎重光の名が元亨三年(一三二三)にみえる。南北朝以後塩尻郷は近府春近領の一部として小笠原氏が足利氏から宛行われ、それを小笠原氏は諏訪社下社へ寄進した。塩尻地方では正平一〇年(一三五五)桔梗ききようはらの合戦、貞治四年(一三六五)、同五年の塩尻金井かないの戦、宝徳元年(一四四九)の諏訪上下社人の塩尻の戦など小笠原氏は諏訪・伊那方面から侵攻されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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