堀立村(読み)ほりたてむら

日本歴史地名大系 「堀立村」の解説

堀立村
ほりたてむら

[現在地名]佐賀市兵庫町ひようごまち大字瓦町かわらまち字堀立

東は神埼郡と接し、南は殿野とのの柴野しばの、西は六丁野ろくちようの、北は外野そとのといった地名があり、中世末から近世初期にかけて開発の進んだ地域と考えられる。堀の多い低平な水田地域。

藩政初期には鍋島直茂の重臣鍋島生三(道虎)の所領があった。生三は姉川鍋島家(鍋島周防家)の祖であり、村内にある光円こうえん寺の開基でもある。

堀立村
ほりたてむら

[現在地名]豊前市堀立

梶屋かじや村の南に位置する。岩岳いわたけ川右岸の平野に立地する。室町時代には宇佐宮領の名で、応永三三年(一四二六)一一月二五日の宇佐弥勒寺法印神相所職等譲状(到津文書/大分県史料一)弟子の悠尊への譲地として「上毛郡内神領堀立名惣領之分」がみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報