堀内(読み)ホリウチ

デジタル大辞泉 「堀内」の意味・読み・例文・類語

ほりうち【堀内】

姓氏の一。
[補説]「堀内」姓の人物
堀内敬三ほりうちけいぞう
堀内恒夫ほりうちつねお

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精選版 日本国語大辞典 「堀内」の意味・読み・例文・類語

ほり‐の‐うち【堀内】

[1] 〘名〙
中世在地領主屋敷地内。
上杉家文書‐応永三一年(1424)六月二日・関東公方足利持氏料所所進状「青砥四郎左衛門入道跡除堀内分事」
城下町で堀をめぐらした中の町や屋敷のある区域。
[2]
[一] (堀ノ内) 東京都杉並区東部の地名
[二] (二)(一)にある日蓮宗妙法寺俗称

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日本歴史地名大系 「堀内」の解説

堀内
ほりうち

[現在地名]萩市大字堀内

萩城下北西部の地域で、萩城をはじめ上層武家屋敷が集中する武家地に、いくつかの社寺を含む。東は萩城の外堀を隔てて南片河みなみかたかわ町と北片河町、西は西にしはま、南は橋本はしもと川および平安古ひやこ町と平安古、北は指月しづき山ときくはまに及ぶ。

万治制法の万治四年(一六六一)三月七日付「被仰出条々」に「於御城下、士屋敷ニ被遣候所ハ堀内・古萩廻ハ不及申、平安古・古春日・土原辺・金谷・雑式町也」と記される堀内は萩城内三の丸の地をさす。武家屋敷は三の丸に集中し、その数は元禄七年(一六九四)一五九、元文年間(一七三六―四一)絵図では一三五、宝暦一〇年(一七六〇)一一七、寛政元年(一七八九)一〇七であった。

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世界大百科事典(旧版)内の堀内の言及

【萩[市]】より

…16年(元和2)橋本川の川筋付替え大工事を行い,城下町の形を整え,松本・橋本両川を天然の外堀とした。城下町は,指月山麓で城に最も近い堀内,北東部の古萩(ふるはぎ),松本川河口西岸にあり廻船問屋や藩の船倉(史)が置かれた浜崎,南部の川島庄の4地区に大別できる。堀内には上層武士の屋敷があり,他地区は侍屋敷,寺社地,町人屋敷が混在していたが,川島庄には百姓屋敷があった。…

※「堀内」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」