坂関跡(読み)おうさかのせきあと

日本歴史地名大系 「坂関跡」の解説

坂関跡
おうさかのせきあと

京都と近江の境界、逢坂山の山麓に設置された関。相坂関・会坂関・合坂関とも記され、歌枕としても知られる。関の位置についてはとくに近世に繰返し道が掘下げられたことから定かではない。現在、京阪電鉄京津けいしん大谷おおたに駅の東、国道一号の北側の逢坂山検問所脇に「逢坂山関址」碑が建つが、この地にあったという確証はない。むしろ藤原孝標女が「更級日記」に「相坂の関のせき風吹く声はむかし聞きしにかはらざりけり」という歌に続けて、「関寺のいかめしう造られたるを見るにも」と記すことや、「関寺縁起」がせき(現逢坂二丁目の長安寺の寺地付近とされる)の寺名を逢坂関に隣接していたことに由来するとしていることなどから、関寺境内西端にあったとする説が有力になっている。また「石山寺縁起」巻三には、孝標女一行が逢坂関を越える場面が描かれるが、当関付近には柵や小屋があり、大津寄りには朱塗の関寺総門(一説には石山寺楼門ともいわれる)や遠方に琵琶湖岸が見えることから、縁起作者には関の位置は関寺近辺と意識されていたらしい(新修大津市史)。前掲縁起巻三第三段に「逢坂関を越えけるに、(中略)関寺の新しく造り建てられたるも珍しく、打出の浜の見しに変はらぬも」と記されるのも、関寺付近とする説を裏付けるものであろう。なお「枕草子」の「関は」の段には「逢坂、須磨の関、鈴鹿の関」などとみえる。

〔関の成立〕

奈良時代には壬申の乱後に確定されたとみられる伊勢の鈴鹿関、美濃不破ふわ(現岐阜県不破郡関ヶ原垂井町)越前愛発あらち(現福井県敦賀市付近)が三関と称せられて重視された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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