日本大百科全書(ニッポニカ) 「土蜘蛛(古代)」の意味・わかりやすい解説
土蜘蛛(古代)
つちぐも
古代、大和(やまと)朝廷側から異族視されていた集団。『日本書紀』では「神武(じんむ)紀」に土蜘蛛を、「身短くして手足長し、侏儒(ひきひと)と相にたり」と形容しているが、「景行(けいこう)紀」では朝命に従わず、石窟(いわむろ)に住む人物を土蜘蛛と表現している。『常陸国風土記(ひたちのくにふどき)』では、国樔(くず)を土俗のことばで、土蜘蛛とか八握脛(やつかはぎ)とよんでいたと記している。八握脛は脚の長い者の意味であるから「神武紀」の「手足長し」に類するものといえよう。また『常陸国風土記』には、国樔、つまり土蜘蛛は「山の佐伯(さへき)」「野の佐伯」であり、「普(あまね)く土窟(つちむろ)を掘り置きて、常に穴に住み、人来たれば窟に入りてかくる」とされ、狼(おおかみ)の性、梟(ふくろう)の情をもつもので、いよいよ風俗を阻(へだ)てる種族であるといっている。王化に浴せぬいわゆる化外(けがい)の民で、水田耕作より狩猟を主としていたため、その生活様式を一般農民と異にしていた人たちを蔑称(べっしょう)したものであろう。
おそらく容易に大和朝廷の支配下に入らなかった人たちは、平地の農耕民というより、むしろ山地の民が多かったようである。その代表例が蝦夷(えみし)(佐伯)であった。「景行紀」に「蝦夷は是(これ)、はなはだ強し。男女交わり居りて、父子別無し。冬は穴に宿(ね)、夏は樔(す)に住む」として穴居をその特徴としてあげている。また越(こし)の蝦夷と想像される人物も、八握脛と名づけられ、その脛の長さは「八掬(やつか)、力多くはなはだ強し。是れ土雲(つちぐも)の後なり」とされている(『越後(えちご)国風土記』逸文)。このように神話や説話のなかにみられる土蜘蛛は、朝廷に討伐さるべき対象として描かれるが、荒ぶる土神や、凶賊とされるのは、やはり平定に困難を極めた記憶によるものであろう。
[井上辰雄]