国学(教育機関)(読み)こくがく

日本大百科全書(ニッポニカ) 「国学(教育機関)」の意味・わかりやすい解説

国学(教育機関)
こくがく

律令制(りつりょうせい)下で、国ごとに置かれた郡司(ぐんじ)の子弟らの教育機関。大宝(たいほう)令によって設置されたとみられる。養老(ようろう)令によると、教官は、博士(はかせ)1人、医師1人(大宰府(だざいふ)は2人)、学生(がくしょう)の数は、大国50人、上国40人、中国30人、下国20人で、医生(いせい)はそれぞれの5分の1を定員とした。教官は国学生(こくがくしょう)・国医生の教授や課試にあたり、博士は外国使節応対に、医師は一般の診療に従うこともあった。教官はその国内から採用するのが原則であったが、求められないときは傍国からの採用も許された。学生は郡司の子弟が原則で、定員に余裕のあるときは庶人から、医生は庶人から、いずれも13歳以上16歳以下で、在学9年間で二経以上に通ずることが必要で、さらに大学に進学の者は、式部省の試験に合格して、大学生となる。そのまま出仕する者も、上京して試験を受け、合格することを要した。平安末期には国学のことが史料にみえないので、そのころは廃絶したものとみられる。

[大塚徳郎]

『桃裕行著『上代学制の研究』(1947・目黒書店)』

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