名生館遺跡(読み)みようだていせき

日本歴史地名大系 「名生館遺跡」の解説

名生館遺跡
みようだていせき

[現在地名]古川市大崎 館など

南東に延びる標高約四〇メートル、沖積地との比高約一〇メートルの火砕流台地南東端付近に立地する古代官衙跡と中世の名生城跡との複合遺跡。名生館官衙遺跡として国指定史跡。奥州探題大崎氏の居城である名生城の跡としてよく知られていたが、古代の瓦や土師器須恵器なども出土することから、「続日本紀」天平九年(七三七)四月一四日条にみえる玉造たまつくり柵の跡ではないかともされてきた。昭和五五年(一九八〇)から六年間にわたり発掘調査が行われ、七世紀後半から一〇世紀前半にかけての城柵跡ないしは官衙跡とみられる多数の遺構が発見され、律令的な地方官衙の成立過程を知るうえできわめて重要な遺跡であることが判明した。調査はおもに城内じようない地区と小館こだて地区を対象に行われ、発見された古代の遺構は第I期から第IV期の四時期に分けられた。第II期には城内地区に官衙の中枢部である政庁が置かれている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の名生館遺跡の言及

【玉造柵】より

…かつて有力であった加美郡中新田町の城生遺跡は,その地が一貫して色麻郡内であるところから,玉造柵とするには無理があると考えられるようになった。東西1400m,南北850mときわめて規模の大きな古川市の宮沢遺跡,また,同市の名生館(みようだて)遺跡を玉造柵にあてようとする説もあるが,確定をみるにいたっていない。【桑原 滋郎】。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」